《渦の外から》
事件の渦中とか言うが、不覚社会も全一の中に発生した渦の様なもの。
ご承知の通り、この渦は次第に激しさを増している。
世間の荒波、時代の激流と、中に入っていれば流れに感じるものも、そこから出て全景が見えると、流れが輪になった渦と分かる。
竜巻は「渦を昇華して次元を超えよ」の、お知らせである。
ドロシーも、竜巻でオズの国へ到着した。
ずっと同じ水位でグルグルし続けると、目が回るばかりである。
お目にかかった方には良く「天袋に入っている」と、ご説明するが、覚醒の一瞥体験を意識が握りしめてそれを元手に動いている人々が居る。
それは、目まぐるしく回転する不覚の渦から飛び出た岩山に腰かけて、下を眺めて居る様なものとも言える。
宮司を名乗る“これ”は、そうした様も外から観ている。
洗濯槽の中を覗いている感じである。
外からなので、立場の高低がない。
渦に巻かれて混乱している人々は、岩山の上に座っている人々を羨ましがったり、憎んだり、逆に崇めたくなったりするかも知れない。
座っている人々も、流れに翻弄される人々を見て、そうなっていない自身を何か高みに居る存在と感じるかも知れない。
だが、水位がMAXになればみんなまとめてグルングルンとなる。
こちらでは渦の勢いに驚いたりはするが、一緒になって回らない。
回りようがない、そしてそれを別に得意と感じない。
その時に、「ああ、本当に影響されないもんだな」と認める。
既に普通のことで、得意になりようがない。
洗濯機を覗き込んでいるだけの人物が、何かしら誇らしい存在であると言うマニアックな社会があるなら教えて頂きたい。
面白いことに、覗き込んでいる不覚洗濯機の外も一切が水なのだ。
それは驚く程、澄んでいて、静かに世界を満たし、輝いている。
不覚洗濯では、回転に酔ったものは渦と共に去る。
仕上がったものは順に渦から飛び出て来る。
全一に溶けたものが、アマテラスの元、気持ちよく陽に照らされて輝くのを眺めようと、洗濯の進む様を観ながら愉快に過ごしている。