《横穴ユートピア》
当宮にお越しの極めてグッドセンスな皆様には、全くトンチンカンな話に感じられ、
「何言ってるんです。今更誰も、そんなものに期待かけちゃいませんよ」
「そんなのここで言う必要無いでしょうが。馬鹿馬鹿しい」
等の、お声が出て来るかも知れない。
が、今回は“ある種の人々”にとってはおそらく、すこぶる残念なお知らせとなることについて書かせて頂く。
ある種の人々とは、この混沌として日々波の荒くなる不覚社会を、誰かが又は何かが
何とかしてくれる
何か流れを変えてくれる
皆が目覚めに向かっても良いと思える説得力のある何かを提示してくれる
どんどん注文を露骨にして書いてみたが、そんな風に良い感じにしてくれることを願い、「どこかの誰かや何か」に期待をかけている人々のことだ。
期待の向かう先は、
これまでの常識を覆す新しい科学的発見
だったり、
不可能を可能にする夢の新素材
だったり、
全く新しい経済の在り方
だったりする。
新しい発見、新しい素材、新しい在り方、新しい…新しい…
残念なお知らせだろうが申し上げる。
それらは決して新しくない。
もっと言えば、新しい要素が有ってもどうしても新しく成りきれない。
成す者が、不覚に包まれているからだ。
新しさは、完全に未知なる領域から来るものに宿る。
不覚とは、「結局は個として何かを得たい」と意図するフィルターの様なものであり、それが挟まるとどんな新発見でも
歪んで濁る。
どんな意志を発しても、最初に個の思惑によって曲がっていれば、垂直に天と地を結ばないので、当然歪なものとなる。
例えば科学者であれば
「同業者・同門・同期より凄い発見」
「もっと大きな予算」
「社会からの注目」
「歴史に残る」
等の、不覚者に取っては努力の誘因となるだろう、しかし全一から見れば全く雑な要素が、
発見を発見し尽くす
ことを妨げる。
未知なる星の発見等、NEWなNEWSは本当に楽しい。
だが、不覚の視点による発見と研究を通してでは、何処まで行っても「不覚社会の発展を意図する一手」の域を出ないのだ。
それでは、どれだけ進んでも「他の星にユートピアを作る」とか「機械の体を手に入れる」等の、へっぽこな横道に入って行く。
延々と「ソレっぽいけどコレじゃない何か」が、積み上げられるだけなのだ。
どれ程冴えた頭が有っても、それを使う理由が
モテたい褒められたい生きた証を残したい
思いから来ていれば、どうしたってモテたくて褒められたくて生きた証を残したいシステムを助長するものしか生まれない。
勿論、不覚の手になる発見であっても最高に楽しまれていると、そこから全母の天意が湧き出すことはある。
宮司は、不覚研究の重要な柱として、その自我を超えて湧き出す天意について観察を続けている。
その一部を当宮記事にて皆様にもご覧頂いているのは、ご承知の通り。
だが、自我から漏れ出る天意と、全開で溢れ出す天意とでは、それによって成せることの質も量も比べ物にならない。
そして、変容の時代には出し惜しみない全開状態が求められている。
待った無しと申し上げているのは、完全に全一に溶けた者達が行動を起こさない限り、真の発展も繁栄も有り得ないからである。
本日記事で、当宮にお越しの皆様に改めて確認して頂きたいのはこちら。
派手目な“天才”や○○・リーダーが不覚者の中にどれだけ現われても、
彼らがこの混乱の終わりまで道筋をつけられる訳ではないと言うこと。
つまり、皆様がそれぞれの場所で目を覚まして貢献をなさらない限り、真の新しさが行き渡ることは無いのだ。
何となくそれっぽいユートピアでも、進む方向がナナメって横穴に作られたものは酸欠に陥る。
万物一体で栄える風通しの良い天地を開くのは、全一の愛と、それに帰する者のみである。
斜めに伸びても、育たない。
(2018/7/5)