《未練を精練する》
言っても言ってもどれだけ言っても、覚悟が決まらない者も居る。
なぜ、その覚悟が出来ないのか。
簡単だ。
未練があるからである。
出典: http://www.nerune.jp/
今までのやり方で、人より先んじることができていた部分に。
外見や出自、能力など、他より優遇され羨ましがられていた部分に。
幸不幸問わず、衆目を集めて人の気を引くことができていた部分に。
その為にコツコツ手を加えて作り上げた自分物語に。
それらが織り成す人間ドラマが生む感情の、強い刺激に。
そろそろ強い風にきしむようになって来たエゴ集合住宅の、「狭いながらも楽しい我が家」感に。
本来エゴは、意識が変容という“卒業”を迎えるまでの、青春時代の友だった。
だが、分割意識側の執着によって肥大したエゴはいつの間にか
「ワガママでどうしようもないけど、つい情がわいて別れられない恋人」のような存在と化している。
「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉」などと意識にまつわりついて、さも同質な存在のようにしなだれかかるエゴ。
エゴまみれの意識を指して「人間意識」と言い表すことも多い。
けれど、ご存知の方もおられるだろうが実のところ、
エゴそのものは意識ではない。
キャ~!それ言わないで~!
これはエゴにして見れば大変ショックなことだし、出来ればエゴも宿主(意識)も聞きたくはないだろうが、真実である。
御神体はバイオPC、分割意識はOS。
そしてエゴは変容の為の加圧プログラムなのだ。
元々は、各分割意識が成長し神意識に変容する過程で、それに必要な負荷をかける為に用意されたプログラムである。
エゴにはエゴの役割があった。
しかし、加圧ゲームをクリアすることに夢中になり過ぎて分割意識達に中毒症状が蔓延し、変容システムに不具合が生じた。
さらに、中毒症状で変容システムが混乱した所に外部からハッキングがあり、誤作動が一層激しく起こるようになった。
雪だるま式とはこのことだが、不安になどならず我々の分母が何であったか思い出して頂きたい。
何が起きようと結局は、0であり全母である虚空の掌の中。
バグを仕掛けた“外部”と言えども、である。
空の外などないのだから。
どれ程混迷を深めるように感じても、未練は必ず練りきれる。
エゴは『エゴ』という概念としてだけ残り、ファイルに格納された状態になる。
プログラムの作動に使われていたエネルギーは、意識が変容してお役御免になった後は、光に還って新しい存在になれる。
変容の為には、練りきること。
練りきらないから未練である。
金輪際で日々を過ごすことでしか、練りきらない。
精練とは人が修練を重ねて鍛えられる様に加えて、繊維の不純物を除くことも意味する。
未練の精練はその後、変容という精錬に進化する。
粗金属を溶解させ、純度の高い金属を取り出すのが精錬。
虚空に溶け、誰でもないものとして新生するのが、人型生命体の精錬である。
ご参拝いただく皆様が、当事者性をもってご自身の変容と向き合う=練りきることは、何処の誰にも代わることなど出来はしないが、その決意と実践に役立つことが、凡神宮と宮司の本義と理解している。
それには、全母である虚空からのフリを全て受けきって、活きのいいリアクションを見せることが求められる。
出典:ORICON STYLE
虚空は熱々のおでんを持ってきはしないだろうが、その代わりに何を持って来るかわかりゃしない。
お約束が無いのが、虚空のリアクション芸人なのだ。
中世ヨーロッパではそれを、神の道化と言っていた。
宮司が取ったリアクションを公開し、" 体験 "を放り込まれることで、皆様の内在神が湧き返るのを上が観察している。
宮司にも雲の形とか看板の文字とかカラスの声とか予想もつかない外応で、その変化が伝わる。
急ぐ気はないが待つ気もないので、虚空にお任せで動くのみである。
エゴ・プログラムは“お約束祭”。
(2016/10/24)