《書く祈り》
「う〜ん、確かになぁ」
祭を終えた翌日。
巡った場所の一部を再訪して受けたメッセージに冒頭の様に返す他なく、まぁとりあえず頷いた。
一旦話変わって、当宮をご覧の皆様にお知らせ申し上げておくことがある。
本年の春分からさせて頂いている、直接お目にかかって進化変容のお手伝いをするはたらきの、新規お申し込みが更に限定されることとなった。
現在お受けになられている方・お受けになることが決まっている方々が「卒業」となられた時、その方からお一人だけご紹介頂くことが可能となる。
つまりもう、譲ると言うかたちでしか席が出来ない。
特にご紹介なさりたい方が居られない場合は、そのままとなる。
その空席についてどうなるかは、現時点では不明。
行うことの精度を保つ必要から、これ以上のお引き受けはしないこととなった。
もうパッツパツなの。
その分、お受けした方々に向けては、その方を通して全体に届けると意志し、力を注いで行く。
これが「一目覚めた者」として最大最適な貢献のかたちと、解が出た。
目を開かせてくれる「救世主」、不覚を治してくれる「名医」を求めている者は、本日を良い機会に他をあたられることをお勧めする。
不覚的に言えば“時間の節約”になるはずである。
こちらは伴走者であり、意識の奥に眠るどんな荒れ地や深い洞窟にも同行するが、自ら進む方のサポートしか出来ない。
さて、そんなこんなでこれからは当宮記事をご覧になる方々の殆どと、直接お目にかかる機会がなくなった。
では、お会いしない本気の方々に向けて出来ることは何だろうか。
と、意識を向けて、冒頭の返しをする他ないメッセージを受け取ったのである。
もう結構書いたぞ、どうなってんだと上に言って「石の上にも三年」と返された当宮。
来年の春でその三年となる。
「そこからはこっちの自由裁量だな、文句は言わせない。さあどうする?」
と、面白く色んな道を意識に浮かべていた。
理解が行き渡ったことが分かるまで続けなくとも、これまでの記事は残るのだし、重要なことは相当書いた。
一旦閉じて、そのまま物理次元を観察してたって良いのだ。
だが、お会い出来ない本気の方々に向けて出来ることは当面、書かせて頂く記事以上には、ない。
なので、やめるとか減らすとかそうした路線変更の可能性をやめにした。
やめをやめ。ややこしい。
春とか三年とか関係なくここからは更に注力し、祈りを込めて書かせて頂くことにする。
お目にかかれる方にも、お目にかかれない方にも、こちらが放つ天意からの愛は同じ。一つも変わることはない。
会えないなら、書くと言う祈りを捧げる他ない。
捧げれば、
会わずとも会える。
そうしたものを書いて行く。
受け取ったメッセージは、出来る限り伝え続け、支え続け、尽くし続ける必要があることを初めにエネルギーで送って来られて、その後に来た。
必要だと提示された仕事がちょっとビックリする質と量だった為、どうして転がるにつれてこうも膨れ上がるのかと
「わしゃ、雪だるまか」
祭ではそうでしたけど。
と呆れた時に受け取った。
「お前も進化すりゃ
いいだけの話」
確かにと頷く他なかったのも、お分かり頂けるのではないだろうか。
全くもってその通りなのだ。
ですよね!
(2018/11/26)
祭で素晴らしいひと時をご一緒させて頂きました皆様、有り難うございました。
皆様の進化をお祝い申し上げ、益々のご活躍を楽しみにしております。