《春風に》
“草も木も萌ゆるをみれば春風に
動かぬものはなき世なりけり”
寒気が少しずつ和らぎ、風が運ぶ春の気配が、留まっていた色々なものを溶かし流して行く。
表において、変わることは動くことである。
変容し、意識が不動の中心に帰着した後は、表層の何がどう動こうとも、巻き込まれて一緒に翻弄されることがなくなる。
訪れ来るものにも去り行くものにも、自然にとっとと納得が行く様になるのだ。
人でも物でもそうであるし、情報でも同じ。
何か重要な情報が降りた次の瞬間に、それが「持って行かれる」ことがある。
以前の休日、丁度洗濯をしていて大変充実かつ陽気な気分で居た時のことである。
軽いステップで部屋を横切りながら、宮司は全く今日的ではない歌を口ずさんでいた。
「サ〜ンバ♪
ビ〜バ、サ〜ンバ♪
マ・ツ・ケ・ン
サ〜ン~バ〜
…………アレ?」
松平健ないし、マツケンサンバについて何か重要な気づきがあったことは覚えている。
その歓びもあっての陽気さだった。
ところが、その内容が一瞬の後、綺麗さっぱり意識から消えていた。
「あっれ、持ってかれたわ〜」
と首を捻った。
が、直ぐに
「ま、いっか。叩け、ボ〜ンゴ!」
と、適当な所から適当な調子で又、歌い出していた。
おでんのビジョンの様に、プルプルしながらも意識上に留まっているものに関しては、なるたけ丁寧に扱ってそっと描き取ったりもする。
だが、一瞬でさっと持ってかれ意識から消えたものを追うことはない。
持ってかれ流れて行ったことにも理由があって、その時の必須ではないからであり、必要なら遅かれ早かれ又巡って来る。
ちなみに、全体にとって本当に大切な情報であれば二回でも三回でも、こっちが追っ払ったとしてもしつこく来る。
気づきや真実情報は、個が満たされる為にあるのではない。
少しずつメッセージが降りる様になったグッドセンスな皆様に向け、申し上げられることがある。
受け取ることに慣れて落着くまでは
「とにかく取ろう」
「重要な情報を取ろう」
そして、
「なくさない様にしよう」
と、思われるかも知れない。
だが、来る者拒まず去る者追わずとして、まずは全体の流れにゆったりと乗る感覚に集中されること。
結果、情報を受ける精度が上がり、同時に質も上がる。
マツケン情報が流れてった理由は今の今でも、不明。
あれ以来、音沙汰ないが必要であれば「正に今!」と言うタイミングで再び訪れるだろう。
世界はマツケンありきじゃないし、サンバでなくちゃ踊れないわけでもない。
全体を味わって、楽しむこと。
そうすると意識が、隅々まで澄み、晴れ渡る。
晴れ晴れとした意識で、起きることを風にまかせるのも愛なのだ。
春風に預けてみよう。
(2018/3/8)