《日の恩や》
先日、午後から始めた屋外の落ち葉掃きがすっかり楽しくなり、ついでに通路に水をかけてデッキブラシで思いきり磨いてみた。
デッキブラシを使う体験が今まで殆どなかった為一層テンションが上がり、かなり盛大に水を撒いた。
綺麗になったことに満足して、慣れない作業で水浸しになった後ろを振り返り、そこで初めて幾つかのことに気がついた。
今、日没直前であること。
これから最強寒波が来るらしいこと。
たっぷり使った水は通路の表面を覆っている。
ついでにもう一つ気がついた。
明日外出する前、ここを通る。
「わ〜!朝っぱらからキス&クライとかマジ勘弁」
と、すぐに溜まった水を押し出しにかかり、不意にある問いが浮かんだ。
「氷が出来るとは?」
水が張り、日が差さない状態で起きること。
このことが畳み掛ける様に幾つもの気づきを起こした。
水はエネルギー体であると共に、「知識情報」を象徴する。
火もエネルギー体であり、こちらは「実践行動」を象徴する。
そして日は「天意からの愛」を象徴する。
愛の実践なき知識情報の集積が、意識下に“氷床”を生む時、そこは容易に変化することの出来ない、固定されたフィールドとなる。
以前に別の場所で「氷結」と仰られている方が居られたが全くその通りで、氷結同士が更に結ばれると氷床となる。
ちなみにマネーも情報であり、タイムも情報である。
マネーやタイム、それらを増やす知識やコネクション情報がたっぷりある場所に、愛の日が差さないと巨大な氷床が出来る。
マネーが足りないことも一つの情報で、タイムについても勿論同じ。
足りないマネーやタイム、それらを減らす知識やコネクション情報がたっぷりある場所に、愛の日が差さないとこちらにもまた巨大な氷床が出来る。
氷は“上流”だろうが“下流”だろうが愛なき所へ平等に溜まる。
お気に入りの氷をガッチリ守ろうと、愛の日差しをシャットアウトすると、結局本人も楽しくない事態になる。
わざわざ光を当てて滑るのはそんな氷への祝福である。
意識の氷はひたすら増えようとするばかりで、溶けて減っちゃうかも知れない熱を当てたり、上で速く滑ったりクルクル回ったりしない。
削れても減るから。
だからこそスケートには他と融和し「個人ではなく空間として動く」ことが不可欠。
我欲が顔を出すと一気に上手く行かなくなり、不調や事故の場面に繫がる。
意識の氷保存会には、ようやく終わりが来ようとしている。
内なる起こりは外にも起こる。
ここ最近、永久凍土がどんどん溶けてきて、絶滅したライオンやら何やら、地球の歴史にとってなつかしの情報達が現れ出ているらしい。
旧世界が終わる前の、でっかい走馬灯みたいになっている。
それは氷の世界で暮らす生き物達の暮らしに影響をもたらし、水位が上がるとどっかしら没したりする所が出るので困ります、と人類まで戦々恐々としている。
内なる氷が溶け出ることを分割意識達が受け入れれば、外側の氷も変に溶けまくらずシロクマやアザラシ含め皆に丁度いい全体弥栄な状態になる。
「チャプチャプして渡れませんわ。」
そのニュースを観た時は、「溶けることを恐がり過ぎだなぁ」と感じた。
恐がって避けると、
却って激しく起こる。
それも変な場所で変な感じに。
「ほんと頼んますよ。」
天意からの愛で紐解かれた知識情報と、天意からの愛で為される実践行動とを、両方活かしてお進みになられている皆様には、あまり必要のないことかも知れないが、一応申し上げておく。
どうしても知識情報の方が目に見える形をとり易い為、目立つ。
愛はなかなか目に見えず、純度が上がれば上がる程細やかで静かになり、さり気ない。
確かさを感じる目立つものを集めて安心したがるのが不覚の常だが、何かと事態が上手く回らない状態が訪れたら、水が過剰に集まり日の火が足りていない。
対象を定めない豊かな天意を放出し、愛の実践で氷を溶かして頂くこと。
そしてその変化を受け入れること。
溶けることを受け入れれば、それは何をも害さない。
日の恩や たちまち砕く 厚氷
(2018/1/4)