~ご連絡~
月曜記事の天意と対になる形で、本日の記事は愛について書いています。
天意と愛についてと、双方の循環についての誤解が解けると、変容は加速します。
ふざけ感少なめな今週の記事ですが、大変重要な核心ですので週末かけてでもゆっくり天意と愛とに意識を合わせて頂けると、ご自身の進化に大きな力が注がれ、全体への貢献ともなります。
では記事へ。
《愛の行く先》
愛とは本来どこへ向かうものか。
申し上げるまでもなく全母(ぜんも/ぜんぼ)へである。
全母である虚空へ、子である人型生命体が愛を捧げる過程で、様々な人やものを「通す」。
だが全母は目に見えないので、間に立った目に見える存在達のことを「愛している」と子達は思う。
全母からの天意は分け隔てなく同じものが子達に注がれる。
一人一人に分けてせっせと送るのではなく、問答無用の全放出。
だが、想念ネット(別名エゴバリヤ)がその天意の正しい到達を阻む。
歪めてまともに受け取れないのでエネルギー量が減り、その結果、全母に還す子達の愛も質量ともに先細ったものになる。
更に、愛するということについて『子が別の子へ愛を送る』という認識しかないと、子同士の送受信にエネルギーが割かれ、ますます全母へ還る愛は変質し、貧しくなる。
母の天意は出し惜しみせず完全放出なままなので、バランスが悪くなり、子達の方に「天意されないフラストレーション」と「愛せないフラストレーション」が溜まってゆく。
古いゲームではこの2つのフラストレーションと、その結果としてのジリ貧の先細りを体験したかった。
キュウキュウを極めてから一気に広がり出すゲームの為に。
我々の愛は全母に捧げられるものだ。
その過程に立っていた全ての人やモノに捧げるのは、愛の表現に関わってくれた感謝の方である。
それが分かった時に、争いは無くなる。
自然な精錬の現れとして、タタカイ(多他交い)は起きる。
だがタタカイという形をとった、互いへの理解や進化発展を深めつつの交わりなので、それもやはり全母への愛である。
真のタタカイに支配がないことからも、それが分かる。
支配とは弱者にしか必要のない利権だからだ。
虚空と一体化し、天意には愛で感じ合う時、そうした弱さとは無縁になる。
繊細にはなるが、繊維の細かさはイコール弱さではない。
繊細ヅラした脆弱が世に溢れかえっているが、
繊細と脆弱は本来異なるものなのだ。
きめ細やかに強くなる。
(2016/6/16)