意を放つ》

 

2018の年頭にあたって、

「今年はどんな年にする?」

と、集まった面々で新年の抱負をめいめい言い合った時のことを、先日ふと思い出した。

そのお題に宮司は

「めっちゃ働く年にする!」

 


と、特に何も考えず元気よく表明

意識に舞い戻ったその場面に、

「おお。だからこんな働き方か」

と、腕組みしつつ納得した。

 


まぁ、こんなに働くとは実際思っても見なかったが。

当宮記事を更新し続けるのに加えて、

お目にかかる方々の進化の道を情熱的に支えて走り

様々な場所に赴き、

沢山の素晴らしい時を過ごした。

 


手元に今年の手帳があるが、年頭の宮司に見せてやったら仰天するだろう。

「はぁ~。正気の沙汰とは思えねえな」

まず、あいつならそう言う。

自らだが。

しかし、それまでの自らにとって正気の沙汰とは思えない事柄も、やってみれば出来るものだ。

 

 以前、質量ともに増すばかりの業務内容について上に問いかけたら、

 


 「それがお前の全力か?」

と、又もや昭和のスポ根ドラマの様なメッセージが飛来し、靴のひとつも投げたろうかとなったことがある。
 

よーし、そこを動くなよ!


だが、こうして振り返ると、上が正しい

相変わらず靴は投げたいが、道理である。

 

どうせなら重いやつ。


  

新年は人々の放つ雑念がすっきりと片付いている

焦りもなく、ちょっとポカンとする様な、からっとして澄み渡る空気。

一年の中で最も言霊が通り易い時期と言えるかも知れない。

そんな素敵な新年が、明日もうやって来る。

 
賑々しく、行く年を祝った後は、来た年に爽やかな宣言をしてみることをお勧めする。

但し、思っても見なかった程の加速や、想像を絶する広がりが起こる場合がある。

それをも承知で、

天意からの愛と共に

意を放つ時、

 

神は歓び喝采する。

 

素晴らしき2018に感謝。

(2018/12/31)


本年も誠を尽くしてのご参拝、ありがとうございました。

 

どうぞ良いお年をお迎え下さい。