《後生大事に?》
「後生大事にいたします」
受け取った物が超大事な時なんかに使う台詞。
又、結構な無茶振りと知ってるお願い事を通すのに、
「後生だから助けて下さい」
と言ったりもする。
人類は、今の今体験している人生を起点として、そこから一つ以上前の体での生を前生、今回の後に続く生を後生と呼んだり、生の字を世に変えて前世や来世と呼んだりもしている。
前世は「私の前世は」等とバリバリ個人所有なのに、後世だと「後世の人々に」とか個人を離れた世の中全体な感じが出るのが面白い。
やれ「前世からの因縁」とか、
「来世ではきっと夫婦に」
とか、前後にはワイワイ言うのに、今の今は割と無視。
せいぜい「今生の別れ」とか「今際の際」とか、
失わんとする瞬間にしかピックアップしない。
何でだろうか?
今などあって当たり前、空気みたいな存在と言うことだろうか。
釣った魚に餌はやらない、ロクデナシ感溢るる所業である。
勿論今はあって当たり前、と言うか今だけが存在する。
前生だって前の今だし、後生だって後の今である。
ずっと、永遠に、今しか、無いのだ。
未熟者のすることとは言え、この人類の失礼な態度は何だろうと腕組みしながら、歴史と呼ばれる「今の連続」を観ていてふと、あることに気がついた。
皆様、バスツアーか何かでガイドさんに
「前方をご覧下さい」
と言われたら、どっちを向かれるだろうか。
目の前の、体の正面が向く方
ではないだろうか。代わってガイドが、
「後方もご覧下さい」
と言ったらそこでは
首や上半身だけ曲げて背後の方
を、ご覧になる。
つまり、前生に別れを告げ、後生に向かっている、今生の人類は、
後ろ向きに時間軸を移動中
なのである。
へっぴり腰にもなるはずだ。
新しい上に見えないのだから恐怖は倍増、過剰な期待で恐ろしさを誤摩化したくもなる。
そうなると、「後生大事」も急におかしなことに。
大事っつったって、
ケツ向けといて大事って、どんな大事。
尻を馬鹿にしているのではなく、単純に尻は目や鼻よりガイドに向かない。
生きたエアバッグには成り得ても、感覚器ではないから。
座った状態を居心地よく支えたり、尻餅で他の部分を衝撃から守ったり、尻には尻の仕事がある。
こっちは目や鼻には出来ない。
それぞれが仕事を分けあって、全員野球で今の連続を生き生きとプレーするのに、意識が後ろを向いていては話にならない。
かつて申し上げた様に真の前とは奥向き。
奥に深化が進む程に、表の前もきっちり向いて進化が成せる。
生き抜くための経験を積み上げた、過ぎ去りし方に意識を向けて歩む時期はそれこそ過ぎ去った。
ドラマチックな前生コレクションとか、後生での浄土ライフプランとか、人それぞれにお気に入りのビジョンは多々あるかも知れない。
が、「今の連続」より大事なものなどないことを、認める時期がとっくに来ている。
初めから、大事だったでしょ?
(2018/4/9)