《待たない世界》
七つの大罪については、もっと丁寧に読み解くとそれらが罪ではなくヒントであったことが見えて来る。
丁度、人類の多くが引っかかっている六つの誤解についての読み解きを進めており、その中にこれら“大罪”についての記述も加わるだろう。
只今取り組んでいる作文仕事の中でも、割かし大きいものの一つがこれ。
とは言え、その内容を当宮記事でお知らせすることはまずない。
極めて限られた方達へ向けての仕事として、読み解いているからである。
その仕事とは、
当宮宮司へのご連絡方法を知る方で、
一昨年秋にご提供した3つのチャレンジを実行され、
それについてのレポートを初回に提出して下さる方
のみ、ご提供が可能な講座のこと。
7種類あり、春分から受付を開始する。
既に受講を希望されている方、関心をお持ちであることをお知らせ頂いている方には、来月前半までに内容をお知らせするが、それ以外の方にはお尋ねがない限りこちらから特にご連絡はしない。
必要かどうかは皆様それぞれでお分かりになるからだ。
全てマンツーマンで行われ、0と1についての総ざらいなど根源的な情報については共通する点もあるが、殆どがお越しになる方に意識を合わせた上で用意されるオリジナル。
テキストもプログラムもひとつひとつ違う。
ある程度学びや気づきを深めた後は、必要なものがその方ごとに違って来る。
個別に分けた体で置かれた「分神」は、全母が様々な角度から物理次元を観察する為に置いた「カメラ」の様なもの。
当然1カメと2カメで見えるものは違うし、意識が引っかかっている箇所もそれぞれ違う。
集団で教えを受けることの意味は、初めは「集まった人々を鏡にして」、自らを観察することが必要と言う点にある。
そうして多角的な意識観察を学んで行く。
ある程度門戸を広げ、照らし合わせることが必要な講義内容もあるだろう。
そうした中で進化し、もう出口寸前まで来ている方にのみ、肩を貸して出獄を手伝う。
内なる出獄は勿論自らが成すものだが、仕上げ段階に来た方が感覚をモノにする手伝いは出来る。
言ってみりゃ、補助輪のない自転車の後ろを支えて一緒に走る係。
真っ直ぐ漕ぐ感覚が掴めたことが分かったら、手を離して拍手する係だ。
当初、上はもっと大勢に会って伝える方向も示して来た。
だがそれは既に他で行われており、何より数はどうでも
完全に不覚を終わらせた者が増える
ことが、重要。
なので、
無駄打ちはしない
と返して、黙らせた。
意識の後ろを支えて走る「宇宙のトライさん」みたいな役割が、上と宮司の折衷案である。
この殆どの方にとっては直接関係ない話を、わざわざ当宮でお知らせ申し上げたのには、理由がある。
「見れも触れもしない場所で、そうした面白い動きが既に起き始めている」と、知ることは必要だからだ。
世界は粛々と
三つ指ついて
あなたの目覚めを
待ったりしていない。
踏み出した方へは、その勇気に相応しいものが提供される。
いいえ待ってません、と並走で説明。
日常生活を通して、観察と実践に努められている方。
学びの場を選択し、そこに通われている方。
お一人お一人に毎瞬全母から、「相応しい機会」が提供されている。
それを真っ直ぐに受け取って邁進される時、決して堂々巡りはない。
世界は待たずに、惜しみなく与え続けているのだ。
そしてあなたが見ても見なくても、世界は常に面白くなり続けている。
翔んでみる春。
(2018/2/19)