《年中無休》

 

仕事遊びとか、ONとかOFFとかで切り替えずに、ずっと

 

只、様々な動きが起きている

 

そんな状態で過ごすことが当たり前になって、もう大分経つ。
 
大分経つし、自他がないことも当然になっているが、ふとした拍子に面白く驚かされることがある。
 
半年程前、昨年の末頃に、宮司は上から提示された「する必要のあること」のラインナップが持つ、あまりの量と幅に
 
「おいおい、それ一端末の手で足りる?

 

と、呆れていた。

 
その折に、上から聞こえたのが
 
“大丈夫だ。
ワレワレには、

冬休みがある。”
 

 

爆笑し、即座に上へ言い返した。
 
「休日返上ってのは、休日貰った奴が言うことなんだよ!」


余談だが、既にのないが言う「ワレワレ」とは、「割れ割れ」と充てるとしっくり来る。


全体一つの大いなる存在を、便宜的に割って区切ったのが、ワレワレ
 
本来は割れようにも割れない、分かれ得ないものなので、誰の休日でもないし、休日貰った奴も居やしない。
 
途中から、上にでなく「休日貰った奴なんか居ないこと」に笑えて来た。

 


誰の休日もない。
全体の中で起きているので、敢えて言うなら質においては「みんなの休日」である。
 
冬が終わり、桜の季節が来て、梅雨を前にし、することが減って落ち着くどころか、じゃんじゃん増えている
  
成すことが増えた分、意識にはより深い明晰さが求められている。
 
それでも疲れは溜まらないし、特に不満もない。

 


何だってこんなことを書いたかと言えば、不覚社会でほぼ恒例となった五月にかかる病のニュースを先日も観たから。
 
不覚から見れば良いことも悪いこともスイスイ抜けて溜まらず流れて行く「つまんない」覚の日々は、五月にズンと肩を重くする不調とは、からきし縁がない。
 
年中無休弥栄意志するので必要に応じて、歩いたり走ったり喋ったり書いたり、食べたり飲んだり眠ったり出来るし、不覚的には全く訳の分からない様な動きもスムーズに出来る。
 
不調は実のところ、本来したかったことへ歩を進める手助けをする追い出し要員の役割を持っている。

 

 

病や不調の体験を経て上手いことウンザリ出来ている端末には、不覚との差に注目し気づくチャンスが到来している。
 

目が覚めていない状態で、仕事に倦んでどんより気分にハマった五月。


おまんま頂く給与が発生する、同じ会社の、同じチームの、すぐ側のデスクに居る人物の為に働くのだって苦痛なのに、
 
顔も名前も知らないし出会うことすらない者の弥栄を意宣って動く、目が覚めた者は何故サクサク動けているのか。

 

こんなに分かりやすい気づきの機会もないもんだと思うが、当人は辛すぎてそれどころじゃないのかも知れない。

 

 

折角の五月病ギフトなのでこの際、活かしてみよう。

 

職場や学校にそうした不調の端末を発見された皆様。

 

彼らの状態を同情や批判なしに天意からの愛観察し、目が覚めている人々との(身近に居ない場合は本やブログで代用)を感じ取って頂ければと思う。

 

分かる感性開けている者から、分かって行くのだ。

 

 

それが鈍化した者への(たす)にもなる。

 

正直、不覚も相当煮詰まって来ている

 

五月病だろうがトラウマだろうが地割れだろうが、全部活かして進まないと追っつかない程、流れが速くなっているのだ。

 

それぞれに金輪際の力を発揮して頂く様、お願い申し上げる。

 

 

弥栄に休みなし。

(2018/5/21)