《回収業務》

 

実質増えただけの“なんちゃって神事異動”で、上から新しく割り振られた仕事がある。
 
入力作業等のデスクワークと並行して、お出かけして力を発揮する動の行
とは言え、別にイベントを打つ訳ではなく、単独で出かけて単独で片付ける仕事である。

 

この件について意識を向けていたある日の入浴中。


提示されたビジョンに、


「古い枷を回収?
 わ〜、それ体力勝負だわ〜。

 丈夫で良かった〜
 
となった。


そしてその丈夫さ故の頼まれ事だと気がつき、
 
「ま。だからか〜」
 
と呆れ半分に突っ込んだら、
 
合わせる様に、不意に聴こえて来たものがある。

神庭(かてい)でご不要になりました

 

古新聞(古い知識)
古雑誌(古い習俗)

 

 

テレビ(古いチャネリングビジョン)
パソコン(古い検索機能)
洗濯機(古い浄化方法)
冷蔵庫(古い保管情報)

 

何でも回収致します

 

動かなくても(もう術がかからなくても)
映らなくても(もう何も降りて来なくても)

 

結構です


 聴きながら、風呂で大笑い。
( )内の訳は後から宮司が付けた。


 
紙モノと家電が混ざってるが、要するに神仏空間にコネつけて引っかかってるスピリチュアルゴミは、何でも虚空に回収する係と言うことだ。
 
そんなこんなで宮司職の傍ら、廃品回収業者の様なことを神仏から請け負っている。
 

古い因習や、結界がどんどん崩壊して機能しなくなっている
なので、それを片付ける係も必要になる。
 
ところで、廃品を含むゴミ回収業者は、配送業者、清掃業者と並んで、社会全体からの敬愛が足らない業種ではないだろうか。


創造ばかりにかまける不覚社会は、「運んでくれる・片付けてくれる」役割に対して、時に軽んじた態度を取る。

 


 恥ずかしながら宮司も目が覚めた後でそうした業務に注目し出し、やがて深く感謝するようになった。
 
神社で「祓い給え清め給え」なシーンには深々と頭を下げる人々が、自宅やオフィス周りを清くする方々には「あら、ありがと」程度になっていることは多い。
 
「だって、こっちがお金払ってあげてるんだから」
 
と言う風に、神社や神職には「お納めして」、業者には「くれてやる」のなら、全一には程遠い。
 
その軽んじる気配を感じて卑屈になり、当の業者まで「こんな仕事」とふて腐れていることもある。
周囲がそれを感じて又軽んじ…となると、分かり易い悪循環が出来上がる。
 


配送業者の方々は、お客が日時を指定し忘れたり急用で予定が変更になると、労力時間を注いでそれを埋める。


それなのに、まぁ慣れの力も無視出来ないが、時にはこちらが驚く程の寛容さで、全く何でもないことの様に再配達をしたりする。
  
配達を終えて車に駆けて行く後ろ姿を「ありがたや」と拝みたくなったこともあるし、一部業者の値上げの報には「そりゃそうだ」と感じた。
 
本当に、バランスがおかしい。
不覚社会からの評価と、評価なしには払われない敬愛が欠け過ぎている。
 
尤も、評価ありきの敬愛なんてそれこそガラクタなので、無条件の敬愛が満ちればいい話なのだ。

 


回収業者も、清掃業者や配送業者並みに運動量が大きい。


生活ゴミについては台風だろうが何だろうが時間をずらしてでも来てくれる。
 
宮司が、似た内容を請け負うことになった“流しの業者”の(ほうには、不覚社会では「回収する」と言っておかしな場所に置き放ったり、法外な金額を要求する変てこなのも一部あるそうだ。
 


だが、こと神仏対象の回収業でそんなことをするものは居ない。
居るとしたら相当の酔狂と言える。
 
人の本音や性根などお見通しの神仏に向かって、「嘘八百を吹っかける」姿が見れるものなら逆に拝見したい。
 
それに神仏空間を回る廃品回収業者は、本当に「無料」で虚空に還すだけだ。
人が勝手に神仏にかけた覆いがおふくろの元に還るのに、「0」以外の円は不自然である。
 
只、依頼先がお土産をくれることはある。

 


 例えば、古い縁が切れた後に湧き出た自由な力成せることとか。
その力を「相応しい時に使って良い」許可とか。
 
そんな物事も付いては来るが、そこを期待して動いたりはしないのが、虚空の廃品回収業者
先日、一仕事終えたばかりで、他の業務もあるので又いつお呼びがかかるかは全く不明。
 
来た時には楽しむだけ
 
丁度良いので、これまで体験する機会がなく「かっこいいな〜」と眺めるばかりだったあのツナギも、意識上で着てみることにする。

 

出発進行!

(2017/10/9)