《同期の桜》
宮司を名乗るこの端末が現在行っている活動の発注元は、本来的には全母。
その様にして、来る役割を引き受けている。
上の面々も、その他あらゆる神仏や覚者も皆、新世界で様々な現れを建設&観察する事業の同僚と言って良い。
イエスも仏陀も皆、同僚。
上も皆様も宮司も皆、同僚。
それぞれの役割に感謝しているし誰が行ったものでも、誠ある仕事には心底頭が下がる。
その一方で勿論、
しょっぱい仕事したら、神の腹にだって膝を入れる。
キャー、何てこと!
無論、誰からのお墨付きも要らない。
「そんなこと言って、カチンと来た天上の誰かに雷でも落とされたりしたら、恐いじゃないか」
などと不覚社会では思うかも知れない。だが、
「そんな恥さらしなマネを全母の前で出来るのなら」
と腕組みして仁王立ちで迎えた時、果たしてその「上の誰かやら」はどんな行動に移せるというのだろうか。
上もまた、全母に抱かれ観察されているのだ。
あらゆるものは全母にとって等しく愛しき子。一つの例外もない。
よしんば「ついカッとなって」ピカッと落としたりしたとしても、天意と愛とで受けきって向こう三軒両隣の電力に変換位してやるつもりである。
「あら、何故だか今月安いわ…、電気代」
と、隣の奥さんが明細見て首を傾げることになるかも知れないが、進化に真摯である為には仕方ない。
こう、誰に対しても甘くない態度で居る時に、どの様なことが起きるか。
「それでも勿論構わない」と言う、ものの分かった存在しか、こちらにコンタクトして来なくなる。
不覚から覚への移行期には、上面した見えない存在が介入して来ようとすることがある。
感覚が鋭い方に向けては、特に。
そうした存在たちはとにかく話相手になって欲しがる。
その次に彼らの思い通りに動いて欲しがる。
猫の話しと違うのは、上気取りの存在達は獲物を従わせる為に、有難味で選民意識をくすぐったり、危機感で追い立てたりする所。
落ち着いてさえいれば、見分けるのは案外と易しい。
古いものが剥がれて行く変容の時代には当然に、一旦は様々なものがごった返す。
見えない存在と関わる際には、それが世間的にどれ程のビッグネームを名乗っても、「本質的に対等」を基本として頂ければと思う。
“貴様と俺とは同期の桜”
なんて歌がかつてあった。
ネットワーク上のデータと端末のデータの内容を、新しい方に合わせて同じにすることも同期と言う。
我々は常に全母から新しく生まれている。
全一に則していれば、常にその最新版に同期される。
全母から発せられるものは皆、毎瞬まとめて同期されているので、実際は何もかもが同期の桜。
貴様と俺に限ったことではない。
ちょいと前の年代で活動してたり、わりかし伝説になるエピソードを持っていたからと言って、持ち上げることは不要。
褒めそやしたり恐縮したりすれば、対象との間にどんどん距離が出る。
上は皆、そんなことを望んではいない。
大切なのは天意と愛の元に、中心から全てを平等に観ることなのだ。
皆、共に咲く同期の桜。
(2017/3/23)