《割っても引いても》
映画式瞑想法でも申し上げたが、日々の暮らしの中を引っ切りなしに他の端末、殊に家族と言う存在が行き交う方々には、意識の集中は中々にハードルが高い。
だが2017まで来てブッダ式の愛別離苦を勧めたって、事のハードルを更に上げるだけだろう。
大体、離婚や縁切りや出家や家出で悟れるなら、年間どれだけの覚者が生まれていることか。
只、ご家族が側に居ようと居まいと「意識の上での愛別離苦」は必要不可欠。
人が家族の誰かを何かにつけ意識上に呼び出し
「でも、○○はこういう子だから」
「そう、△△はいつも身勝手だ」
などと決まった見方で居る時、見られる側ではなく見る側の集中力や気力等の生命エネルギーが、その見ている対象の家族分で割られ、差し引かれて行く。
エネルギー家族割引である。
恋人や友人でも「身内」「仲間」として意識に抱え込めば、その分どんどんエネルギーは割られて引かれて行く。
電話会社の中には「自分割」というサービスも見かけるが、これは過去のや未来の自分像で今のエネルギーを「割って」「引いて」いる状態になぞらえられる。
「誰でも割」まであるそうで、これは世間の誰彼に向け、常に気を散らしてエネルギーをばらまく状態と言える。
餅撒きみたいで、
ある意味、豪勢。
暮らしの中で、金なりサービスなり何かが割られたり引かれたりというのは、全て只の動き。
なので、割ってても割ってなくても、引かれても引かれなくても、どちらでもいい。
だが、意識の集中が割り引かれると、表に出る事象の全てが先細り、量もそうだが特に質が低下して行く。
全てを生み成す源は全母。
だが、それがどのような質で発生するかの決定は意識の集中度合いにかかっているからである。
「むにゃむにゃ…ハン…バー……、何だっけ」
こんな調子では、寝言みたいな肉の塊が出て来るだけで、焼いてあるかも保証できない。
気力が割り引かれると、決断力も実行力も当然先細りし、活動の範囲が狭まる。
どんなことが起きても、それを十分に味わいきれなくなる。
未消化だと、同じようなメニューが繰り返し出て来るし、どんどん食欲も削がれて行く。
表層の割引はどっかしらからどっかしらへと金やサービスが移動するが、意識の割引は違う。
例えば家族割引で
「その分家族がエネルギーアップ!」
グーンとお得に!
とはならない。
正直申し上げれば、以前はそういうこともあった。
心配させたり恐がらせたりで「他者に気を使わせる」のが上手い端末が気力総取りなんて時代も。
だがバージョンアップされた新しい物理次元ではその「エネルギー・ジャック」はマトモに機能しなくなっている。
旧バージョンのサポート期間は終了し、コールセンターも撤収。
現在は問答無用となっている。
「気を使わせていい気分♪」な端末が居たとしても、実際のエネルギー支出は全て各自の自腹である。
だから誰かの理不尽に「泥棒!」と憤るより、たっぷりと惜しみなく意識を中心に向けること。
セルフサービスで大盤振る舞いなされること。
物理次元上の物やサービスが、コスパ無関係の夢売る系イメージ商売であったり、質に支えられた高いブランド力を持っていたりする場合、高額な方がさらっと売れたりするが、時にはそんな界隈にすら割引の力は及んでいる。
得は嬉しい。
そんな決めごとに守られて割引は各所に潜り込む。
お高いもの、お安いもの、どっちでもないもの。
色んな場所で不覚社会と割引は蜜月関係にある。
表層の金やサービスの何が割られて何が引かれようともクールに見つめ、自然な流れであれば、愛とともに体験すること。
そして意識の方はけして「割り引かない」こと。
「得した人・損した人」で線引きしてエネルギーが割り引かれると「損得割り」という新サービスが誕生することになる。
何をどう動かそうとも、どう割っても引いても、常に分母はゼロであり、割ったり引いたりの「しめてご清算」はみんないつでもゼロに還って行く。
意識の集中を持続させることで、この不動の真理が実感出来る。
その実感があって初めて、神のゲームを存分に楽しむことが出来る。
意識を割引くことは気を散らし、実である「1」を1として丸ごと楽しめなくする、何とも高くつくサービスなのだ。
全然、お得じゃない。
(2017/5/4)