《全父の顕現》
2月いっぱいをかけ、ロマンティック宣言の下に、男女の愛を通して現われる全一の天意についてご紹介申し上げた。
気がつけば各地で春一番が吹き、梅も咲いたりしている。
明日はひな祭り。
男雛女雛に、ブライドメイド的な三人官女や、五人囃子と言うバックバンド等も併せたミニ大所帯で開催されるフェスティバル。
宮司がひな祭りの盛り上がるシーズン中に、毎年必ず一度は観に行く雛飾りがある。
と言っても観光名所ではなく、新宿二丁目の信用金庫の窓辺に居る。
なんで毎年観に行くかといえば、信金が彼らに用意したスペースがマジで窓辺のみな為、
横一線。
官女も囃子もこの通り。
男女とか、位とか、全部取り払って横一線。
この“超平等おひなさま”を見つめながら、「万物に本来貴賎なし」と毎年頷く。
ありがたいことである。
桃は、不死の仙女である西王母の果実。
それが実る前の「桃の花を飾る節句」であるから、雛の祭なのも納得。
梅桃と来て、桜にはまだ早いのだが前祝い。
ひと月かけて温めたものの総まとめになる情報を本日記事にてお届けする。
男性性を担当する分割意識が目覚め、女性性を担当する御神体との和合“夫唱婦随”を実行することで、分神としての真価が発揮されると、一体どのようなことが起きるのか。
各自の動きについては全くの未知であってそれこそが面白いのだが、分神達全員の動きをまとめて俯瞰で観た時に「結果としてそこに現れていること」については既に上から知らされている。
知らされた時には本当に驚き感動した。
それと同時に、奥底では最初から知っていたと感じもした。
上から知らされたこと。それは、
全母から送られたエネルギーを完全に受けきって、物理次元に実現した「分神としての開花状態」が治致。
そこまでを発見した時も嬉しかったが、更に大きな気づきが続いていた。
分割意識と御神体という男女の動きが完全に融合(和合)し、物理次元に全母の歓びを完全開花させた状態が治致。
この治致を、全ての分神が行う「満開の状態」を全父と言う。
全母と全父。
「全」てを生み出し滅する「母」
男性性である分割意識
女性性である御神体
完「全」なる新世界である「父」
まるで螺旋の美しい動きを見るようだ。
全父は父なる神として最初から存在しているのではない。
全父とは言ってみれば
全母の“父なる姿”である。
全母性は分神を通して、全父性に変容する。
アマテラスがスサノオとの対峙という大一番で男の姿をとったのは、この母から父への変容を表している。
全母が全父(の状態)を生もうとしているのが、2017を含む現在。
0が1を生む幾多の動きの中で、もっとも大きな“生み”がここにあった。
素晴らしい!!!
母が全ての源であることは分かっていたので、全母全母とすっかり母子家庭気分だったが、そういうことだったのかとようやくスッキリした。
一旦気づいてしまうと、「何故こんな簡単なことに気づかなかったのだろう?」と、笑えてくる程、それは鮮やかに“当たり前”となった。
分神である我々一人一人に男性性女性生が備わっているのだから、万神である全母に父性が備わっているのは当然と言える。
父は符でもある、とも分かった。
我々が物理次元でする行い1つ1つが、音符となって空間に響いている。
我々分神は全母の歌声であり、楽器であり、音符であり、生ける音楽なのだ。
同時に、全父を構成する一片でもある。
“オタマジャクシはカエルの子 ナマズの孫ではないわいな”
「それがなにより証拠には」、変容すれば「やがて(=自然と)」「手(=能力)が、(湧き)出る」、「足(=行動力)が、(湧き)出る」。
そして何より還る子だから、全一に帰して毎瞬新生する。
祝・全容表明。
(2017/3/2)