《全一の濫用》
2018夏が過ぎ行き、気の早い方は「今年もあと…」的な話をしだす秋口。
先だって申し上げた通り、母神祭について木曜に、記事とは別にご案内を載せる。
今回もご参加は、宮司の連絡先を知っている&これからどうにかして知る方で、案内にて申し上げるチャレンジをなさって頂ける方に限られる為、ここをご覧の皆様の殆どに関係がない。
従って、祭についてはこれ位にする。
祭の準備もあるし、春分からさせて頂いているものもあるし、当宮の更新は週2回。
そして、ここでは申し上げていない用事も、幾つか請け負っている。
もうとっくにプライベート概念は吹き飛んでいるが、こう多用だと、
「何でもかんでもやりすぎか?」
と、なったこともある。
あれもこれもし過ぎて、他の端末が動き難くなっている場合もあるのではないかと感じて、上に確認したのだが、もう全くの見当違い。
お神輿をあげない者の膠着
↓
当宮の神輿がこんな状態。
の、順番だった。
じゃあやるしかない訳で、それでも全く構わない。
但し、例えば宮司の様な「他の端末が済ませたから全体チャラで」とは、こと変容に関しては一切ならない。
用事を多く請け負うのが多用。
避けたいことには全一を持ち出して「一緒にまとめてお願い!」は濫用。
全一を濫用の上、乱用して誤摩化す者達は、一体どうするつもりなのだろうか?
不覚の体験については、「済んだことだからもう繰り返さなくていい」と再三申し上げている。
だが進化変容は、それとは全く違う。
不覚体験は、ある種コレクション的なもので全てが揃うと後はもう無様な焼き直ししか出来上がらない。
進化変容はコレクションではない。
この時代、なければもう個別としての生は体験不能、それ程の「大前提」。
進化変容の肩代わりは無理であって、「自他は無い」の濫用で誤摩化すことは出来ない。
一体どうするつもりなのだろうか?
まぁ、そこも含めて中立に観察して行くだけではある。
ザックリ過ぎる例えになるが、進化変容は「体験」と言う意味では勉強より筋トレに近い。
「試験?まだ、余裕だって!ヤバくなったら真面目なあいつのノート写させて貰おうぜ!」
は、有り得ても
「試験?まだ、余裕だって!ヤバくなったら真面目なあいつの筋肉、写させて貰おうぜ!」
には、なり得ないのと一緒。
誰も代わってくれやしないのだ。
ライザップも何ともしてくれない。
当宮にお越しの皆様には、この様なことはほぼほぼ関係がない。
不覚社会に起きているゴタゴタに際し、ピシャッと申し上げておくことで、当宮の見晴らしが良くなり、皆様の理解も深まる。
関係があるとしたらそれ位だろうか。
水増しも裏口も無理。
(2018/9/3)