《全一の感覚》
直接お目にかかったことのある皆様は、この宮司が「どんなものなのか」ご存知だが、それ以外の方にして見れば「一体全体どうしてこんなことを?」と謎だらけだろうから、簡単に説明を兼ねてこの記事を書くことにした。
と言っても宮司は「俺語り」にさらさら興味が無いので、必要最小限で書く。
宮司を名乗るこの端末は、2013年に目が覚めた。
初冬の昼下がり、都内のある庭園でベンチに座っていた時にそれが起きた。
特に心には何も浮かばず、ただ座って景色を見ていただけだったことを何となく覚えている。
それが彼方から音も無く満ちてきた。
そしてその、それというか、今もあるので今となっては“これ”に、ベンチに座ったまま、あっという間に飲み込まれた時、えも言われぬ静けさが満ち、全一の感覚と一体になった。
目覚めたのではなく、目覚めが起きた。
よろこびという言葉すら通り超えて、ただ「これがこれ」でしかなかった。
思わず声が漏れたが、同じようにそれは「………あぁ…!」でしかなかった。
以来、世界をアルやナイで分たれない、つなぎ目のない“本質的には全く同じもの”として感じているのである。
この感覚がひらかれてから、様々なモノコトの成り立ちが自然に分かるようになり、同時に面白い体験がどんどん増えた。珍妙な爆笑体験や、目を見張る衝撃体験、深い発見からの成長体験など、それは今まで読んだどの本よりも面白かった。
そこで「目覚めから進化を深める一端末の観察」という意味も持ちつつ、気が向いた時に読んで笑おうと、その受信した情報と体験記録のセットを『目覚め日記』と題して、他に見せるつもりなく、自らの為に楽しんで書くようになった。
この端末にも面白かったが、上の階(ハイヤーセルフや俗にいう神々なんて存在)にも面白かったらしく、そっちで噂が噂を呼んだのか、ひょんなきっかけで昨年、『目覚め日記』から抽出した選りすぐり情報を他の端末が集まる場所で披露することとなった。
それが思いがけぬ程のご好評を頂き、やりきったことにこの端末も満足。面白体験のひとつとして「じゃ、あたしゃこれで…」と粋に立ち去るつもりだったのだが、そこで上から“ねじられ”た(本当に、右側の首元に圧がかかり横にねじられる)。
目立つことに興味が無いこの端末と上の階との軽い場外乱闘の末、ねじりきられた宮司が、日曜大工でこの神宮をこしらえることとなった訳である。とはいえ、やるからにはもちろん楽しむつもりだ。
全一感覚に興味のある方は、テーマとして扱うこともあるだろうし、文全体からも自然にあらわれると思うので、そのあたりお楽しみ頂ければと思う。