明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
《入る気出づる気》
明けてめでたいお正月。
皆様それぞれに、出来立てホヤホヤの2019をお楽しみになられ、様々な所にお出掛けになられた方も多いだろう。
元旦の午後、宮司はだだっ広い場所に立って空を見上げていた。
奈良時代に寺だった場所を公園に変えたもので、特に遊具もなく、広い土地をダイナミックに放置。
静かで晴れやかなその場所で空を見上げていたら突然に、開放的な空気がどっと流れ込み、意識も御神体も素晴らしく愉快になった。
広い。何と広い。
「いや〜、いいわ!
すっかり気に入ったよ2019!」
思わずそう、同行の人々に言い放って笑われた。
言ってから、「気に入るも気に入らないもないもんだ」と自らもおかしく感じて笑ったが、
直後に、新年初の気づきが起きた。
晴れてるとか、あったかいとか、その時に味わっていた
「2019のどこか一部分」
が気に入ったのではなく、
「2019そのもの」
が気に入ったこと。
そこから、
「気に入る」とは、本来は丸ごとに対して為される行い
だと言うことに気がついた。
部分的な「これは特に好き」では、気に入ったとなっても実際、気に入っていない。
真の歓びを意志するのであれば、まず最初に、全一の気に入って、溶け込むことが必要となる。
2019は宮司が獲得したものではない。
意識も御神体も、どこか過去からどこか未来へと行くのではなく、どこにも行かない。
只、時空間が開かれる。場の方が訪れるのだ。
その様にして訪れたものを、丸ごと気に入ってみること。
気に入って完全に気に入ると、同時に虚空の気が入り込む。
入り込んだ気は全力となって出て来る。
気が出て来て実を結ぶと、結果として「出来た!」と歓ぶ、実現となる。
2019丸ごとを気に入った宮司は、2019の気に入った。
口に出さずとも、どの時も気に入っちゃいる。
それでも、はっきり口に出して言ってみたことで、2019の歓びの気が勢い良く入って来るのを益々はっきりと感じている。
結果、何とも言えない清々しさと力のみなぎる実感とが同時に、意識と御神体の両方へと行き渡っている。
出会って数日だが「凄い年だなぁ」と、驚く。
皆様が新年の到来を歓ぶのと全く同じに、2019も来たことを歓んでいる。
時は全て、訪れた瞬間を歓んでいる。
人型生命体の側に歓びの気があれば自然、時と気が合っているのだ。
2019は皆様をとっくに気に入り、愛している。
是非、丸ごと気に入って、存分なお働きをされること。
そしてそれを、十分に味わってお楽しみになられること。
その瞬間瞬間に、2019からの愛、そして2019への愛が、互いに伝わり合う。
そんな素晴らしい幕開けのお知らせを、年頭の記事でお伝え出来たことが、まず何よりもの歓びだと感じている。
のびのびと、気合い十分。
(2019/1/3)