《先行?後行?》
スポーツの先攻後攻は競技によっては、どちらかが絶対に有利とかあるのだろうか?
今回は目覚めに関して先行か後行かという話で、内なる逡巡の回収作業に入らせて頂こうと思う。
変容に舵を切った虚空の元で、物理次元にもその現れが起こり始めている。
変化の先陣を切る者には勇気が必要とされる。
まだ殆ど誰も降り立っていないように思える地平に、見慣れた周囲の人々は全く付いて来てくれなさそうな領域に、自らの意志と覚悟によって、赴かなければならない。
好いたものも、嫌ったものも、全てのものに別れを告げて、ただ一人、何の保証も前もって感じることができない場所へ生まれ直す勇気。
大変な勇気、と思われるだろうか。
宮司自身は、逆のことを思っていた。
まだ風が弱いうちが、楽だろうなと。
自らがそうなる・そうしようとまで思っていた訳ではないが、不覚の時代に、単純に覚醒についてイメージした時にそう思った。
周囲に覚者が居ず、まだ不覚社会の側に多勢の気配が満ちていて、人々がくっつき合うことで何となく安心していられるうちは、「当人の意志と覚悟」さえ勇気を持って支払えば、誰のタックルも受けずに、そっと目覚められるだろうと思っていた。そして実際その通りになったと感じている。
覚者が一人出る度に、当然、不覚社会を支えるエネルギー供給源は減る。
国民年金あたりでご想像頂くと分かり易い。みんなから集めるエネルギーは、そのみんなの数が減れば一人当たりの支払額が増す。
規模が縮小したことで想念ネットの編み目がキツくなり、足抜けが難しくなる。
みんながこしらえた想念ネットだけなら人が減るのと同時に弱くなるが、全体での繁栄を望まないごく一部によって作られた仕掛けの効力は、人数と共に目減りするわけではない。
人々が仕掛けの束縛に戦々恐々とし、周囲で抜け駆けしそうなものが居ないか目を光らせて、お互いに恐怖や情を煽ってごった返す中、後行はそれを超える意志で立ち上がらなければならない。
そちらの方が余程キツいと思っていた。
上に聞いたら「トントン」のようである。
先に行くものには
先に行くものの払う勇気が。
後に行くものには
後に行くものの払う勇気が。
それぞれあると言うこと。
早く起きても遅く起きても、いずれかが損や得ということはなく平等であり、どちらをお選びになるかはそれぞれのお好み次第らしい。
ただ、一応申し置くと、最後の最後にウルトラヘビー級の色々を受けきって
「ワッショイ!」と目覚める方々の後に、旧世界は無人ではない。
「先に起きる・後に起きる・ここでは起きない」の、3択になる。
宮司に関して言えば、これから始まるあれやこれやの段取りもあって、早めに目覚めたようだ。
エネルギーの“腕に覚えあり”なのでしんがりを務める、という方にはそれはそれで頭が下がるし、その方に恥じないように、こちらも自らの仕事をして行く。
起きるもの全員のちょうど半分あたりが楽なポイントかと言えばそうでもなく、目に見える覚者の数は増えないし、不安は煽られるしで、それもそれで「平等」らしい。
なので、いつお目覚め頂いても結構と思う。
全部トントンこそ神采配。
(2016/6/6)