《代替エンゼル》

 

なかなか目を覚まさない理由の一つに、不覚者の間で、
 
そのものではなく、
それっぽいもの
代替えようとする
 


 動きが横行していることが挙げられる。
 
分かり易いものだと例えば皆様既にご承知の、
  
イキイキ
ムラムラ
代替えようとする
 


 動き。
 
不覚社会で言う壮年期を過ぎ、体力やら記憶力やら発想力やら、何かしらの“衰え”を感じ始めた折に、発生することが多い。
 
世の中をざっと眺めていると、男性型の端末から、若い女性端末への働きかけが最も派手な様に感じる。
 
つまりそれ程飢えている訳で、「・・・よっぽど、死にそうなのか?それとも只の癖なのか」と首を傾げつつ、観察している。
 


遮二無二他の端末に鼻の下を長くしてカッカしても、ムラムラはムラムラ。
 
斑っ気の多い、粗いエネルギーのままで、決して活き活きにはならない。
 
ほんの一時、「その気になったことでのテンションアップ」は起きるかも知れないが、本来活き活きはもっと微細なエネルギーであり、しかも
 
特定の発揮対象を必要としない。
 
何なら、理由無く、時も場所も関係なく、無性に湧いて溢れ出して来る

 


ムラムラが「あの子かなこの子かなあれちがうかな かなかな」的に彷徨い歩くのに対し、イキイキは万物一切に向け、
 
「Forever お幸せに…栄えよ!!」
 
以上。


と、なる。
 
これ程違うものなのに、代替えようとすること自体、土台無理な話なのだ。
 
又、覚醒に関してであれば、
 


問答無用の目覚め
 
を、
 
理性で誂えた聖のイメージ
 
で、代替えようとする動きも盛ん。
 
だからここ最近まで、目覚めは
 
兎に角すんごい先生の教え

 


に由来するものであったり、そのすんごい先生が
 
尊敬して止まない象徴
  
イエスとかブッダとか、その他各種になるが、
 
そうした人類の救い手っぽい存在の教え
 
に根ざしたものと、思われていた。

 


あったり前だが、目覚めは誰のものでもない。
 
©マークが付いている訳ではない。
 
代替えるどころか、所有を主張することだって出来ないのだから、「あなたと目覚め」よりも、「イエスと目覚め」の方が相応しいなどと、ゆめゆめお思いにならないことだ
 
銀のエンゼルは5つで金のエンゼル1つに代替えて、何か秘密の詰まった缶と交換出来るらしい。

 


だが、決して替えのきかないものもある。
 
だいがえだいがえ言って来たが、代替の読みは元々「だいたい」。
 
「だいたいエンゼル、って雑だな〜」
 

それは、大体。
 
万人の至福を意宣って目覚めの調べを奏でる主の天使を、恋の興奮を発揮して指定した、個人的な「俺の天使」で代替えることが無理な様に、
 
不覚を保ったままで出来る譲歩程度では、当然に
 
真の目覚めに至ることはない。
 

掛け替えないから変容。

(2018/8/13)