《世の中学園》
不覚は青春とお伝えしたが、その青春の舞台『世の中学園』をご紹介する。
お目にかかった皆様の中で、今更そんな風に取られる方も居られないだろうが、公共の場なので一応申し上げる。
下に見てるとか一切ないので、どうぞクールにお読み頂きたい。
目が覚めて中立に見ていたら、ある時、世の中自体が大きな学校であることに気がついた。
世の中小学校(よの小)は自分のテリトリーを守って他を断じたり、逆に仲間を集めたり、とにかく生存競争に熱中する端末達が集まる領域。
ここから少し、見えない世界へ向けて意識が開かれた端末が集まる領域が、世の中中学校(よの中)。スピ系の情報を好む端末が多くここに通う。
この段階だとまだ自他の境目が強く残っていて、生存競争に興じる「よの小生」たちをやたらと下に見たり、そこから抜けた自分を「何か特別な存在」と勘違いしたりする。現世の『中二病』と全く同じである。
中立になることを学び始め、自意識の歪みが収まって来た頃、世の中高等学校(よの高)生になる。
全体の中での自分という端末の働かせ方について思いを馳せるようになる。卒業後の進路について現世の高校生が思うのと同じ。
そして晴れて世の中学園を卒業(成神)した端末は独り立ちし、全体の流れに則して生きる。
世の中大学校(よの大)は、別に行っても行かなくてもいいが、全体の為に役立つ新情報を降ろしたり、それを広めたりするマスターとしての器を養う場所である。マスターと言っても特別偉いわけではない。喫茶店のマスターと少しも変わらない。勿論、他の全ての役割とも。
この宮司にしたって、同様である。本質的に何かが上ということは一切なく、ただ、卒業に真剣に向き合う講座に参加する若人たちの声を耳にして
ちょっと顔出した宇宙のおじさん
とでも思っていただければいい。
現世の学校と同じく、世の中学園にも試しがある。神の試験が。見えなくとも、それはある。
そして皆、それぞれの段階に合ったワークに取り組んでいる。日常で出会う、同じくらいの世代に見える人物が、自分と同じ段階のワークに励んでいるとは限らない。参考書を見せ合っても、1人が高2、1人が小3だったら、互いに「ん?」しか浮かばない。
見た目とワーク内容は一致しない。目の前に小学生として現れている端末が、「本当に子供なのかどうか」も定かではないのだ。「中までチョコたっぷり」みたいに内も外もみっちり小学生の場合もあるし、小学生暮らしにすっかり慣れて表面上本人さえ忘れていても、向こうの魂がとんと大人の場合もある。
全員が虚空の元で通信教育を受けていて、虚空が見守っているので、他に構わなくても大丈夫である。“ちっちゃな子達”の宿題に手を出さなくても良いし、自分で解かなければ虚空は必ず本人に追試を行う。
魂のワークが終わらなければ絶対に進級も卒業もできない。ただ、そのワークは「余計な思考から抜ける」とか、「古い自己を死なせる」など、大変シンプルなものだ。「他より派手な奇跡を起こす」「何か有難い存在になる」等は、学生が勝手に行うサークル(輪廻)活動で、卒業には全く関係がない。
出るとしみじみ分かるが、本当にそれぞれがただただ、他の誰も代わってくれない自身の進化に注力するだけで良い。
そしてそうすることでしか卒業には至らない。
人間の意識でこれを聞くと、卒業していない状態がいかんように感じられるかも知れないが、ワークを終えて(味わい尽くして)いない、という事実があるだけで、良いことでも悪いことでもない。
進むと決めたら進む、これのみである。
(2016/4/14)