《不思議発見》

 

「この世には不思議なことなど何もない」
 
何かの映画で聞いた台詞であるが、実際は

 

この世を奥から観ている

虚空にとっては、

何の不思議もありはしない。
 
そして反対に、
 
見えるこの世は

不思議がいっぱい

 

となる。


 目が覚めてからは「全母である虚空「分神である人型生命体と言う、両方の感覚が開くので、


 「何の不思議もないんだけどさ、不思議ね〜」


と言う、珍妙な感想が発生する。


 先日も、歩いていてふと目にとまったベビーカーの中身に、新鮮な驚きを感じた。

 


 開いてる貝位無力なのに、堂々としている。
 
「……何故だ?」
 
と、意識がその謎を捉えた。
 
傍に母親が居るからこその安心だろうか。
 
安全と安心を根拠にし、泣かない。

 


つまり、身体の安全さえ実感出来ていれば良い訳で、赤子は己の無力さを嘆いて泣いたりしないのだ。
  
「…ん?」となって、少しの後「あ!」となる瞬間がやって来た。
 
己の無力さを嘆き悲しむのは、他者と比較しあう不覚社会ネットワークの範疇に納まってから。
 
赤子は、他の赤子と自らを比較しない。

 


 
優位もなければ劣位も無い。
 
彼らは優劣の外側に居る。
産まれて間もない彼らが。
  
その姿に教わって、気がついた。
 
は、真理として元から在る訳でない、

後付けの作り物である。

 


 
この重大な気づきに思わず、その機会を下さった生の貝より多少アクティブ“師”に向けて、心底よりの感謝を込めて意識の中で一礼した。
 
この様に、見える世界には不思議の「?」とビックリな「!」が一杯である。
 
謎が直ぐに解けるかどうかは関係なく、その不思議の芽”を見つけることは出来る。
 
そんな不思議の発見と、その昇華に役立つふろくを今月はご紹介。
 

 

5月のふろく 《ふしぎはっけんセット》

 
上から順に、表・中身・裏となる。
 
気づいたことや、腑に落ちたことの部分は空欄でも、一先ず「何故だ?」となったら、日付と共にその謎を書き記しておかれること。
 
その謎はひょんなことから解けるかも知れない。
 
そうしたらその日付と共に追記すれば良い。
 
を絵や文字として刻むことで、今が濃くなる。

 

勿論、絵でも構わないのだ。

 


自らにとって分かりよければそれがベストである。
 
見えるこの世は不思議だらけ。
 
それは全母である自らが「未知の発見にビックリしてみたい!」と、こさえたからである。
 
人型生命体と言う沢山の端末を。
そしてそれぞれに授けられた独自の観点と、自由意志と、感覚を。
 


これだけでも一大事業だ。
 
それを歓びでやってのけた虚空
 
大いなる自らの御技に驚ける。
それは、分神で居られるからこそ。
 
有り難いことである。

じゃんじゃんと、不思議発見。

(2018/5/31)