《上げを飾る》
先日の入浴中、頭を洗っていてふと気がついた。
そう言えば、もみあげって何だろう。
意識を巡らしながら首を捻っても、てんで分からない。
「大体、何を揉むのさ?」
そんなことを言いながら洗髪を終えた所で急に思いつき、石けんを一生懸命揉んで両手にいっぱいの泡を作った。
鏡に映る顔を見ながら、左右のこめかみから耳にかけて泡を塗り、こんな感じのバブルもみあげを造形。
これが思いの外、手間がかかった。
なさったことのある方ならお分かり下さるだろうが、濡れた顔の表面に泡を乗っけたままにしておくのは結構難しい。
イメージ通りの形に仕上げるのは尚更である。
「あ〜、こりゃ大変だわ。雪祭りとか…」
ほぼ関係ないことに感心しながら、どうにかこしらえて鏡の中の顔を集中して観察。
何でこんなことをしたかと言えば、もみあげをプラスすることで顔の印象はどう変わるのかを知りたかったからである。
泡≠毛と言う点を想像力でカバーして、何となくなく分かったのは、顔と認識される範囲が狭まるので、その分、目鼻口の印象がよりはっきりする。
各パーツが大きく見えて、毛の野性味も足されたら、それはなかなかにワイルドと言うことになるのだろうか。
にしても、揉むってやっぱり何なのか。
風呂上がりに調べてみたら、耳脇毛がつまって「もみあげ」になった説を発見。
「みみわきげ…みみゃけげ…むみゃけげ…もみゃげ…」と口の中で音を転がしてみたが、何かまとまりがつかない。
わきげの「き」が、どうしても溶けて行かず、あげの「あ」に変化しない。
未納得で更に調べると、江戸時代初期にはこの部分の毛を本当に揉んで上げていたのだと言う話が出て来た。
そのままだと、耳の前を下がるばっかりの毛達に、溶かした蝋と松脂を合わせたのものや鬢付け油を含ませて、揉む動きによって上昇させることに成功。
書道で言う「ハネ」みたいなかたちに仕上がり、これを当時は威勢の良さに関連づけた。
そうしてワイルドさを演出することが当時、下級武士達の間で流行して、使う部分の毛をもみあげと呼ぶ様になったらしい。
リーゼントでは後方の髪を撫でつけて、前方に向けて一点集中させる力を、もみあげでは左右に分けて上を目指す。
方向は違ってもトンガリたい思いは共通している。
どうでもいいがリーゼントは「撫でつけた後方部分」のことを指す。
揉んで上げることが流行る前、もみあげ部分は「はえさがり」とも言われていたそうで、生えて下がっているとは全くそのまんま。
只今2019は、もうここを揉んでも上げてもないのだから、はえさがりの名が復活したって不思議じゃない気もするが、
揉んで
(工夫して)
上げたい
(良くしたい)
願い。
それと他より目立ちたい望み。
そうした願望が込められて名が残っているとすれば、もみあげは顔の国境周辺に位置する
上昇志向モニュメント
不覚文化遺産と言える。
「面子を守る上昇志向か、
そう分かると可愛らしい景色だな」
と、妙に感心しつつ、この部分を強調すればする程生まれる珍妙さについても納得が行った。
狙い通りの結果にしようとあれこれ気を揉んでみても、さっぱり上がって行かないのが新世界。
揉み上がらない新世界は、全一の気に沿って天意からの愛を発揮することで自然に進化繁栄する。
愛の発揮は、エネルギーの全方位拡大。
不覚が気にする表面上の上げ下げでは測れない、奥深い動きなのだ。
揉まずに広げる。
(2019/2/18)