《ブルーバード・ブルーカード》

 

2017と言う“今の今”を去ること100年程前、の“ちょっと前の今”。
 
1908と呼ばれるその年にベルギーの作家モーリス・メーテルリンクが、一つの物語を世に出した。
 
原題を“L'Oiseau bleu”、日本でもよく知られた『青い鳥』である。

 

 

チルチルとミチルの兄妹が、妖女ベリリウンヌに頼まれて夢の中を旅し、過去の国墓場未来の国と様々な場所に青い鳥を探しに行く物語。
 
結局青い鳥を手にすることは出来ず、目が覚めてみたら元々家でチルチルが飼っていた「大して青くない鳥」がその“青い鳥”であったと言う部分までが非常に有名。
 
なので、『青い鳥』の主題は、「幸福は外に求めなくとも結局身近な所に元々有るもんだ」だと思われている。
 
世間で青い鳥の例え話を繰り出す場面の十中八九は、「幸せはあなたの元に」を言うに留まるのではないだろうか。
 
だが実際には、この物語の本質はそんな地点で終わって居ない。
  
この作品には、はっきりと「死と生命の意味」と言う主題が銘打たれている。

 


 「元から有る」は、不覚社会の浅薄な「足るを知れ(身の丈にあった暮らしで満足せよ)」を遥かに越えて深遠な意味を持つ。
 
当宮にお越しの皆様におかれましてはご承知の通り、「元から」とは「一等元から」、つまり原初からを指す。
 
発表から100年以上経った今ここにやっと読み解くが、“青い鳥”とはゼロ・ポイントのことである。
 
「捕まえてみたら黒くなって死んでしまった赤い鳥に変わった」等の表現は、覚醒の一瞥と、真のゼロ・ポイントへの帰還である完全覚醒の違いを表して居る。
 
そして、「捕まえて時が経つと色か変わってしまう沢山の青い鳥の中に、一つだけ本物の変色しない青い鳥が居る」とする場面は、数多くの覚醒の一瞥真のゼロ・ポイントを隠す様に混在している様を表している。

 

 
完全覚醒とは、完全なるゼロ・ポイントへの帰還であり、だからこそ青い鳥の結末もあの様になっているのだ。
 
「あの様に」の内容をご存じない方々に向けてお知らせ申し上げると、「青い鳥は家に居た」で物語は終わらない。
 
チルチルは隣に住む女性に、病に臥せっている娘さんにと、家に居た青い鳥をプレゼントする。
娘が鳥を貰って元気を取り戻し、礼を言いに来た時に、チルチルも娘も鳥を巡ってマゴマゴし、扱いかねて結局、空に逃がしてしまう。
 
鳥は誰の元にも留まらず、空に帰って行ったのだ。
終わりにチルチルから観客に向けた台詞がある。
 


 「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。

ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。」
 
こんな終わり方、皆様ご存知だったろうか?宮司は全く知らなかった。
 
これを知って、初めてこの物語の重要性に気がついた位で、それまではせいぜい「不覚に良くある、足るを知れあるある」の一つ程度と見なしていた。
 
だが、青い鳥が自他の概念が残る端末達の元に留まらずに、飛んで離れたことの奥深さ

 

実際、ゼロ・ポイントはどこからも何からも離れちゃ居ないが「離れた」とは「感じられなくなった」と言うこと。
  
いずれ青い鳥が必要になる、とは、ゼロポイントへの帰還なくして変容は有り得ないことを表している。
 
本日記事にご参拝頂いた皆様全員にご提供申し上げるふろくがこちら。
 

 

サッカーの試合では警告にイエローカード、退場にはレッドカードが出される。

その反対にグッドマナーを褒め称えるグリーンカードもある。

 

今回当宮でご紹介する壷みたいな形のブルーカードは、「一旦ゼロに!」戻すカード。

 

鳥が咥えているリボンは解けている

物理次元で結ばれたあらゆるもの解かれるように出来ている。

 


プリントアウトしたものを使っても、似たものを見よう見まねで描いてもいい。
 
時間軸に流される最中「ゼロポイントに戻ろう」と気がついた時に、それをご自身の目の前にかざして頂く。
使用法は、たったこれだけ。
 
裏技としては、鳥の背景に散った青と黄の丸を「ゼロに戻れた時はピンクで塗る」と言う楽しみ方がある。
 
ゼロに戻んなきゃな事態イコール「ああ、またやっちゃった(時間軸に囚われちゃった)」とシュンとしがちだが、角度を変えてみれば「これだけちゃんとゼロに戻って来れたんだ!こんなに沢山!」な嬉しいお知らせに変わる。
 


なので、ピンクの丸を集めてみたい方は是非お試し頂きたい。
 
どこであろうとも今ご自身が居られるその場所が、進化の最前線。
 
求めに応じて青い鳥は直ぐにそこへやって来る。
 
ゼロ・ポイントは何処か遠くにある何時か出会えるものではなく、実は片時も離れたことのない万物の中心であると言う真理に、気づいた瞬間に立ち戻れるものなのだ。
 

家にあるってそういうこと。

(2017/8/28)