《チャレンジ2・言葉をまっすぐ話す》
言葉をまっすぐ話すとは、特定の思惑なしに、素直な思いを矛盾しない言葉にかえて口に出すということ。
印象操作をやめる時に、言葉をまっすぐ話すチャレンジも併せて必要とされることもある。
だが、二つをイコールで結べないのは、印象操作の意図がない状態にあっても、言葉をまっすぐ話し難い場面はあるからだ。
他者から、その者にとって望ましい特定の返答を求めて、会話の水を向けられることがある。
そうして「本来の意とは違う言葉」を服従や親愛の証として差し出すことを暗に求められる。
相手は「人間あるある」を確認したいだけで、あなたが実際はどう思っているかなどお構いなしである。
思ってなくたって
言って欲しい。
人類はそうやって多くのモノコトを歪めて来た。
一秒前は過去とは確かなことだが、その一秒を未消化のままで次への繋ぎに使うのなら、当然次の今にも影響を残す。
迷いながら取りあえず口にした「本音ではない一言」は、性根を歪め、喉を歪め、声を歪める。
エゴは生き抜く為の浅知恵を巡らせるのはお手の物だが、そのエゴに発揮することが出来ない、真の知性がある。
このチャレンジではその真の知性が試される。
1.相手の思惑に気づき、そこをうまくかわしながら「相手も文句が言えない、こちらにとって嘘ではない一言」をひねり出し、口にする。
1としたが、これだけである。
リアル大喜利とでもお思い下されば良い。
それは上手く話をそらすことかも知れないし、思わず笑いが出ることかも知れない。
真剣に「それを出す」と決めれば、何がしかの答えがあなたの内側から湧いて来る。
上が助け舟を出すこともあるだろう。
不覚社会で、人は様々なシーンで法廷に立たされているようなものだ。
原告として、被告として、証人として、裁判員として、裁判官として。
検事だったり判事だったり弁護士だったり、傍聴席で興味津々だったり、その場の絵とか書いてたり。
証人役が一番多いのではないかと思う。
その場に居ない者の噂話は欠席裁判である。
取られた言質(げんち)は人質と同じで、歪んでいれば言葉を放った者の本来の力を削いで行く。
裁きに裁きまくるのみで、総決算どころか年間のスコアすら出すでなく、その辺に放置で、また次の裁きに精を出す。
その繰り返しに、ご自身のエネルギーを差し出し続けるのをおやめになること。
そして、一言一言を自覚的に発するように心がければ、確実に変化することがある。
切り札は黙秘である。言質を取らせず微笑みで乗り切るのもありだ。
印象操作と同じで、まっすぐでない言葉を思わず言ってしまわれることも、当然あると思う。
なんたってまっすぐ話さない歴史も、相当続いてきたわけだし、車は急に止まれないのと一緒。
なのでぴったりした返答が浮かばなくても、自他を責めたり疎ましく思ったりせずに、次の一球に専念して頂くこと。
決意する勇気と、続ける根気が導いてもたらされるものを冬の解説編でお知らせ申し上げる。
何より、
「本当はもう、あの偽証に付き合わなくて良かったのか」
そう思われることで、今の今、意識が楽になられるのではないだろうか。
全一に則して皆様本来の働きをなさる為に、不要な荷物は降ろされること。
欲しい答えを匂わせながら会話の水を向けた者が、望んだ答えを出さない皆様に「ちぇっ」という反応を返すこともあるかも知れない。
その時にも悪びれることは無い。
リアル大喜利の真の出題者は全母だから。
ゲームチェンジャーは昇太ではない。
無論、小遊三でもない。
皆様である。
自分が決めたことだと胸が張れない時には「あの変な宮司が、嘘合戦には付き合わなくて良いって言ったんだもんね」と代わりにして頂いて構わない。
そして分からんちんどもには心の中で舌でも出して、ご自身の納得される言葉を発し続けることである。
宮司がやってみたいのは、このポジション。
こんな感じのを十枚(十全)重ねてみよう。
(2016/10/12)