《ゴールドラッシュ》
エゴに絡めた旧方式で摂取出来るエネルギーが減り続けていることは、以前も申し上げた。
その分、ある動きが益々激しさを増し、既に大分えげつないことになっている。
ある動きとは、注目を集める物事に人々の意識が殺到する動き。
それはさながら、ゴールドラッシュの様だ。
このゴールドは、鉱物の金ではない。
富の象徴でもない。
もっと生々しい、人々の注目によって集まるエネルギーである。
特定の物事に注目が集まり、更にそこへ向かって様々な思考や感情が押し寄せると、高い熱を持ったエネルギーフィールドが生まれる。
俗に言う「沸騰する」と言う状態。
その熱を求めて、エネルギーの鉱脈に意識達が押し寄せ、結果として更に多くの視線が集まる。
最初の鉱脈を採掘しながら、その周辺も探される。
一つの出来事が起こると、少し間を置いて違う場所で、似た様な出来事が発生することがある。
何かが注目の的になると、それに関連する周辺の事柄や、それまで気に留められていなかった似た事象にまで、人々の関心が向けられる。
その余剰エネルギーで、似た出来事と言う結果が「おかわり」として物理次元に開かれる。
ある学校の給食に食べるに適さないものが入っていれば、そこから離れた複数の学校でも発生し、
日本有数の大きな企業の、それも数十年に渡る不正があっちでもこっちでも露見し、
海外でも有名プロデューサーがセクハラで業界を追放されると、他にも暴露が飛び火して、変態ハンティングみたいに活況を呈している。
温床が虫干しされ、熱を持った古傷から必要な膿が出ている画面でもあるが、何にせよ、一時大変な盛り上がりを見せ、やがて新しい題材に向けて、人々の興味の矛先は切り替わる。
不思議なのは、何故いつまでも「騒ぐこと自体にも魅かれている」と認められないのかだが、ここまでエネルギーの欠乏による不安が高まると、そうした気づきも簡単には起きなくなるのだろう。
当宮にお越しのグッドセンスな皆様は、ゴールドラッシュの波に乗っかって出かけたり、騒ぎの御神輿を担いだり等、今更なさらないだろう。
本来つなぎ目のないこの世界では、加害者と被害者も一体の存在であると既にご存知であられるし、あっちの鉱山、こっちの採掘場と行脚を続けても、千年王国を掘り当てられる訳でもないともお分かりのはずだ。
それでも、申し上げられることはある。
ゴールドラッシュに騒ぐ者達の、興奮や嘆きや意見や呟きが余りに真に迫っていると、つい意識を向けたり、手を差し伸べたくなることがあるかも知れない。
その時は、その介入が騒いでいる彼ら自身の進化には少しも役立たないし、「どの騒ぎでも彼らの多くはやがて、それを綺麗に忘れてしまう」のを思い出して頂くこと。
そうすれば付き合ってつい「同調する様なこと」を言わなくて済むし、彼らが去った後その件から容易く意識を切り替えることが出来る。
つい言ってしまっても、上の「騒いでいる…」に始まる赤字の部分を思い出して頂き、そして「1瞬前でも既に過去」とお切り替えになられること。
エゴ的には「古き良き時代」のゴールドラッシュ祭は楽しいものだろうが、新世界では、予定調和の安全装置が外れている。
安全装置の外れた状態で、死にたくないのに「死にたい」とか、本当ではないオーダーを発して、切り替えもせずに引きずると、それもそのまま採用され易くなっている。
本当は望んでいなかろうが、「察して嘘の芽を摘んでくれて、何だかんだ言っても現状維持をしてくれる」システムは、もう無いのだ。
何でも、額面通りが基本となる。
注目のエネルギーで命を繋ぐ錯覚には、限界が訪れる。
真の生きる歓びには、人から浴びるエネルギーは要らない。
只、意識が中心に在って、全身全霊で生き、そして全身全霊で空間から受け取るのみである。
それが真の呼吸であり、不覚のままでは息がしづらいので、「生きづらい」世の中となっている。
先だっての記事で申し上げた通り、体内の沈まぬ太陽こそが本当に必要な黄金である。
これがあれば勝手に活力が湧いて来るし、生きるに値する根拠など探さない。
むしろ本来「只、ありてある者」であるはずの全一存在が、まるで個別に「生きている様に感じられること」の不思議に驚き、それに深く感謝をする様になる。
思いきり歓ばずに居られない。
そんな気持ちが溢れる。
それは、あらゆる者が着ける場所だ。
「必ずそれを知る」と決める意志さえあれば。
その意志は、そのまま愛だ。
金を外に探さない。
(2017/11/20)
今週二つ目の記事は、水曜に更新します。