《イブとコブ》
慰撫とは、なだめなぐさめいたわること。
鼓舞とは、はげましふるいたたせること。
共感同情し、慰め労り、共感同情し、励まし奮い立たせる。
不覚社会でのコミュニケーションにおいて、このイブとコブが上手に繰り出せると、大変重宝がられる。
その辺りは経験に基づいてはっきり申し上げられる。
と言うのも、今となっては宮司を名乗る“これ”は、不覚時代にはこのイブとコブの扱いに割かし長けていたからである。
表向きは慎ましやかにお行儀よく、それでいて「励まして〜」の気配を全身に纏って来た相手には、
「あいよ!コブ一丁!!」
とばかりに“これ”に内蔵された厨房の店主が威勢良く叫び、スタッフもテキパキと動く。
店主と店員達は「躊躇う必要のない優れたるあなた」をメインに据えて、
その事実をありありと証明する「劣る他の連中」「まだあなたの価値を知らないだけの世間」をサイドに盛りつけ、
細かく砕いた「時流の後押し」「吉兆」をパラパラと振りかけて、
「励ます励まさないなどまるで関係なさそうな、さり気ない話題」の皿に乗せてお出しする。
もうお笑い草だが結構、人気の店であった。
今の今は、本当にそうだと感じないものについては、一切の提供をしない。
不覚的に美味しいイブとコブは、目を覚まそうとする者にとっては逆に、毒になり得る。
中毒を起こす程の魅力を持つからである。
扱いに長ける者は、多少美味しく世間を渡って行けるが、それが一体何だと言うのか。
美味しさを求めるやりとりに新世界のエネルギーは注がれないので、実際イブコブはどんどんジリ貧になっている。
先日このイブコブについて、改めて実感する気づきが起きた。
時折通る交差点の一画に、つい最近まで、見上げる程の大きな木があった。
これがある時、忽然と消えた。
後には瓦礫とむき出しの土。
都市計画の一環で根こそぎ片付けられた様だったが、残る風景のどこを探してもイブもコブも求める様な気配は一切無かった。
自然は、慰撫も鼓舞も必要としない。
欲しがるは人類ばかりなり、である。
その様を眺めていて、自然とその木があった頃に観た、幾つもの光景が蘇った。
夏の陽射しを遮って、美しい影を作ってくれていたこと。
季節外れの蝉の抜け殻を見つけたのは、ここであったこと。
風の強い日には落ち葉を盛大に降らし、ちいちゃな木枯らしの渦巻きを幾つも走らせて見せてくれたこと。
今は亡き木への惜別の慰撫ではなく、空き地となった場所に出て来る草の芽への「今だ伸びろよ!」と言う鼓舞でもなく、湧き上がったのは
只々、溢れる感謝。
「ああ本当に、出会えて良かった。
素晴らしい時を、ありがとう」
その感動が、爽やかに満ちる。
慰撫も鼓舞も求めない、全力で生きる存在の何と美しいことか。
そうした美しさを発見する時に、観察者としての歓びを改めて感じ、再びの感謝を捧げる。
目が覚めて初めて、
世界はこれ程までに美しい。
生滅自在の、巡るいのち。
12月のふろく その2
昨年も作りましたが大切なことと感じますので、本年も新たに“感謝状”をこさえました。
年末の多用な中に、ふと一息つかれるタイミングで、2018と楽しんで対話をなさって頂ければと存じます。
同様に記入例を兼ねた、当宮宮司から皆様への感謝状も添えさせて頂く運びとなりました。
よろしければお名前をご記入の上、猿宮司からの感謝をお受け取り下さい。