《アンサー3・人間関係を整理すると》

 

「3つの中で最もきついかも知れない」と申し上げたこのチャレンジ。
言うだけあって、テコの入り方も実に大きい。

 

3つまとめて一気にトライされた皆様はお気づきと思うが、3の整理が進むと、1と2が結局は楽になる。


結局は、と言うのは、1つ2つの端末と距離を置き始めると、その相手と共通する関係者にも、「お達し」が届くからである。

距離を置かれた側が仲間内に広めなくとも、それは知れ渡る。

 

 出典:京都“府”観光ガイド~京都府観光連盟公式サイト

 

引っかかると音がする鳴子みたいに、意識をあっちでもこっちでも張り巡らしてある為、社交家の方であればある程、最初は周囲から結構ワーワー言われる。圧もかけられる。

 

それでも「どうしたってこのチャレンジは(みずか)らに必要だ」と、決意された方は実行されている。

 

そんな決意は、アタマには出来ない。もっと奥底から、止むに止まれぬ乾きと共に湧き上がって来るのが真の決意だ。 

「自ら=自分」と分割意識がまだ感じていても、それは既に個を超えた全体、「虚空としての自ら」の意志と化している。

 

天意と全一のスキャニングで、人間関係を整理して行くと、細かいところは取っ替え引っ替えしながら今日(こんにち)まで「これが自分」と定めて来た存在が浮き彫りとなる。

 

 

周囲との境を見渡せば見渡す程、自らに向き合うことになる。

それは殆どの場合、けして平坦な道ではない。不覚に在って凸凹していない者は居ないからだ。

 

「こんな面倒くさい目に遭うなら、部分的に意識は眠らせて、交友関係は取りあえず温存してもいいかも…何たって、「自他はない」訳だし。」
そう収めて座り込むのも、それはそれでアリ。

 

それ自体が悪い訳ではないし、どこの誰にも「目覚めない自由」はある。

 

ただ、何だってわざわざこの『完全にマジじゃないと実行出来ないチャレンジ』を、2016の今、申し上げているかと言えば、もう既にそれに相応(ふさわ)しい時期であり、そしてあることが明らかにされる時期でもあるから。

 

あること、というのは、
 
実行をしていない者は居ない
 
ということ。

全ー化という変容、その先の進化。これを実行する者が居る。


全母など無視して、ひたすら我欲スタイルでの活動を実行する者が居る。


そのどちらも選べずに、とりあえず「今のままで」と保留を決め込む者が居る。

 

だが、保留は出来ていない。


実際のところ、常に「決めていない」を「決めている」。
「決まっていない」を「決め続けている」のだ。毎瞬毎瞬。

何一つ先延ばせていないし、何一つ誤摩化せていない。

 

何も、何からも、逃げることは出来ない。

全て一つの中で、一体何から何が逃げおおせられるのか。

 

「決めない」ことを「決めた」先に、何があるのかは当宮で申し上げるつもりはない。
面白味に欠けるものに興味は湧かないし、「決意実行する」皆様に向けて在る凡神宮と宮司なので、「旧スタイル・座り込み」組は単純に担当外。

 

「あるならまた、あなたの来世とやらで!」と申し上げて、爽やかに手を振るのみである。

 

 

さて、見晴らしが良くなったところで、チャレンジ3の恩寵と、この度のチャレンジ全てに共通する、もう一つの恩寵についてご報告申し上げる。

まずはチャレンジ3から。

 

 

 どこにも傾かずに意識が「一人在ること」を決めた時、全体を観ることが出来る。
そうなって初めて、十分に天意からの愛を発揮することが出来る。

 

人間関係の整理は「一人在ること」に向けて欠かすことの出来ない行程であり、かあちゃん(全母)カミさん(御神体)の意見を聴きながら整理し続けることで、全一感覚が確実に開かれ、磨かれ続ける。

 

 

これがチャレンジ3単独での恩寵と言える。

 

所属する場所に傾いたまま、そこから両手を広げて「世界平和〜!」とか笑顔で言い放ってアガペー気取ったところで、それは天意でも愛でもない。


「聖なる感じで行きたい我欲」であり、長いのでまあ『聖欲』とかに縮めてしまってもいい。

大したものではないし、新世界では分かってる者達を笑かす位の役しか果たさない。

 

3の恩寵を挙げたが、また、123のチャレンジを揃えることで更なる恩寵が加わる。


印象操作をやめることで広がった言わば平面の自由が、言葉をまっすぐ話すことで立体化して、人間関係を整理することで、時(富記)の要素が加わる。
時をかけない人間関係はない。

 

点の集合である存在が平面立体を超えて、5次元の領域に移行するには、この自由度の拡大が不可欠。

 

めちゃ重要なので、チャレンジ化してお届けすることと相成(あいな)った。

 

「そんな大事なこと、先に言って下さいよ」
「それ聞いてたら、もっと真剣にやったかも」

 

そんなお声が、見晴らしの良い当宮で発せられるとは到底思えないが、一応申し上げておくと
 

だから、言わなかった。
 
10月に3つのチャレンジをご提案してから、他の記事で補足したり内容を膨らますことはしなかった。
実行を励ますように鼓舞することも、「やんないとやばいよ」的に警鐘を鳴らすことも書いていない。
 
静かで、まるで居ないかのような、何もなかったかのような、ともすれば忘れてしまいそうな。
 
何かに似ていると思わないだろうか?
 
今回のチャレンジ最大の恩寵は、目に映らない全母(虚空)に向けて、

 

 

「それでも、あなたがそこにあると、分かるんだ」と、表明できたと言うことである。

つまり、全母を感じ取る感覚と、保証を求めずに愛の実践を行う、その力がご自身の内に在ることを証明されたのだ。
 
それぞれのチャレンジが「どれだけ数多く奥深く実行出来たか」は、皆様ごとに違っておられるだろう。


だが、何もないように思える領域に、誰に追い立てられるでなくご自身の意志で踏み出された証明は、お一人も欠けることなく共通している。


これで光らぬ理由がない。
 
この数日、表に出ると眩しい程に陽の光が溢れている。
冷たい風が吹く中でも、すっきりとした爽やかな気配は変わることなく空に満ちている。
 
お言葉を頂く機会はほぼ無いし、中にはお目にかかることが全くない方も居られるだろうが、進化の様子は常に伝わって来る。
全母に成り代わり、皆様の本気に感謝申し上げる次第である。

 

ありがとうございました。素敵なクリスマスを。

(2016/12/22)