《みょうとの火》
本日は聖燭祭。
イエスを神の子として捧げ、マリアの出産の穢れを禊ぎ、キリストの誕生にシメオンがその歓喜を歌ったとされる日。
何だかトライアスロン的な忙しい内容だが、「聖燭」と表して暗がりの中に明るい灯がともったことを祝うなら、実に冬らしいイベントと言える。
2月は寒さが残る中に微かな春の息吹が動き始め、日一日と暖かさへ向かう変化の季節。
当宮ではそんな2月いっぱいを投じて、分割意識と御神体の『夫婦間を活性化すること』をテーマとして記事をお届けすることとなった。
確かに冬は寒く、暗い。
同時に、空は澄み、風は冷たく、大気は静まり返っている。
その静けさの中だからこそ、ともる灯の温かさを、よりしみじみと深く感じることが出来る。
声であらわせない声。ほのかな熱。小さな“偶然”。言葉にできない感覚。
そんな微かなメッセージを“聴き取る”ことが出来る。
寒さと、一年が始まってようやく落ち着いたところでまだ余裕もある気持ちから、意識の歩調も自然にゆっくりとなる。
春や夏で浮き足立ったり、年末が迫る気配で焦ったり等、意識が何処かへ出かけて現を抜かすことも少ない。
もの言わぬ伴侶、御神体と言うカミさんとの仲を深めるのに、これ程適した季節もないのだ。
今日まで続く不覚時代で長い年月をかけて、分割意識達は「外に出れば七人の敵が居る」ような自己実現戦争に、随分と夢中になって来た。
女房に対しては「メシ・フロ・ネル」の一点張り。
御神体が何を求めているかは無視し、ただ生命維持の指示を出すだけで「俺が食わせてやってんだ」と、赤面モノの勘違いに興じて来た。
無論、不覚時代の宮司も、その例に漏れない。
妻との対話を軽んじて家庭内離婚の状態に陥る夫が居るように、分割意識と御神体の夫婦間にもマリアナ海溝並みの沈みが生じていることも珍しくはない。
只、御神体はけして意識を嫌わないし、関係の復活再生も諦めてはいない。
全くもって亭主である分割意識だけが“荒れる10代”、未成年なのである。
宮司という“これ”について申し上げるなら、大人になって、カミさんとの温かな交流をはぐくむ中で、人型生命体の真の働きについて少しずつ解明し始め、それは確実にこの分割意識と御神体双方の活性化を起こしている。
驚く程に進化し、それに対しては只もう感謝と言う他ない。
ここまで変われたからこそ、もしこの筆を通って、凍てついた不覚の地に熱を加えて掘り起こし、世に満ちる分割意識&御神体の冷えた関係に、新しい息吹を送ることが起こるなら、
そうしてみようと思ったのだ。
そんな訳で、当宮史上最もロマンティックにお届けする一ヶ月となる。
恋愛のかたちを通して現れる全母の天意についてもご紹介していく。
とは言え宮司は、こと不覚恋愛に関して基本、関心がない。
何故なら
退屈だから。
不覚恋愛で起こるドタバタや、そこに付随する愛しさやら切なさやら心強さなんかについては既にパターンを集計済みであるし、この界隈がもう「伸びない領域」であることは分かりきっている。
恋愛そのものは大いに結構、むしろ重要。
元々、宮司は全体観察者の役割に加えて、分割意識と御神体が完全に結び合った覚者同士が恋愛を体験した上で生じる『覚者同士の結婚』を、祝いまくるつもりで物理次元に降り立っている。
降り立ってみたら物理次元という結婚式場が、思っきし更地だったことにはまぁ驚いたが。
今世紀最大のドッキリかと思った。
お目にかかった皆様にお話し申し上げたこともあるが、宮司は有り難いことに、欲得無く純粋に瞬間を昇華した「これぞ真の男女の愛」と感じるような美しい光景を、不覚時代只一度だけ目の当たりにしている。
本物を知ると、その他が一切色褪せるものだ。
その体験をしてからは一層、自己実現を求めるだけの不覚恋愛全般に対する関心は減り、観察する気もなくなった。
既に幕引きに入っている前座の余興に、今さらいちいち拍手をするつもりはない。
という訳で相変わらず興味が湧かない為、「史上最も」と謳ったところで、わんわん物語に毛が生えた程度のロマンティックしかお届けできない可能性もあるが、まぁ何でもやってみるものである。
どこに生やしてもおよそ分からない。
夫婦と書いて「めおと」とも読むが、元々「め」は妻、「おと」は夫を指すとも言われ、そうなると本来は妻夫で「めおと」。
妻が先なのである。
宇宙のウーマンリブを標榜する当宮としては、「妻夫」に表れるレディーファーストは0から1への自然な運びとして歓ばしい。
当宮が独自に読み解いた情報では「め」は命、「おと」はオツにつながり「生つ」という活性化の現れ。
命を生かす、弥栄そのものの表現が「めおと」には込められているのである。
命は「みょう」、夫婦は「めおと」でなく「みょうと」と、それぞれ音を当てることもある。
命冥加というように、冥土の冥も「みょう」と読む。
冥土の灯で冥灯であるならまさしく虚空とそこからともるいのち火が、みょうと(妻夫/夫婦)なのだ。
幾重にも意味が交差し重なり響き合う美しさは、お見事という他ない。
分割意識と御神体とで育む明るさが、辺りの静けさ暗さに映えるこの季節。
意識の感覚を澄まし、みょうとの火が燃える微かな気配が、記事を通して流れ込む様をお感じ頂ければと思う。
2(ふう)2(ふ)の日、おめでとう。
(2017/2/2)