《びっくりばっかり》
先日、ある寺に詣でた時のこと。
坊さんの姿は見えないが、どうにもやたら猫が居る。
参拝しようと近づいたお堂にも、目の前で一匹の猫が毛繕い。
こちらで進む方向の角度をどれだけ変更しても、相当先方に接近することに気がついた。
ここの猫は地域猫と呼ばれる半分野生のフリーランスな存在で、のびのびしながらも常に人への警戒は決して怠らない様子。
参拝するのはこちらの自由だが、毛繕い中のちっちゃな動物を驚かす理由にはならない。
なるたけ刺激しない様に、進む角度を調整。
そうっと移動し、お堂前に置かれた賽銭箱まで来た時に、横に居た猫がいきなり毛繕いをやめてこちらを見た。
この場で猫は先客。礼は尽くしたい。
いのち対いのちとしての、対等な礼節とは何だろう。
意識を巡らせて咄嗟に出た言葉が
オイッス
世の中に五万とある挨拶の中で、何故これが飛び出したのか全く分からない。
上の画像の様なテンションではなく、会った人に「おはよう」と言う位の音量で自然にポンと出た。
親しみ易さと礼節のギリギリの境目、そんな波打ち際を駆け抜ける言葉が「オイッス」なのかも知れない。
言われた猫は変なものでも口に入れた様な顔になって動きを止め、逃げ去るでもなく、寄って来るでもなく、固まっていた。
何でか、お堂に上っていた他の猫も、去るでもなく近づくでもなく、全員でこちらを見ていた。
置物みたいになった猫達を後に参拝を済ませて来たが、もしかして
「かわいい〜!おいでいおいで」
でもなく
「シッシッあっち行け」
でもない突然のオイッスが起こした波動は、彼らの経験則を超えており、まるで他の星の言葉の様に聴こえたのだろうか。
猫にも多少の予定調和があることを発見出来た。
不覚社会に生きる人々は大抵、それぞれに違う「いのちの好き嫌い」を持っている。
猫>>>>犬や他のほ乳類>魚>虫
だったり、
犬>兎や他のほ乳類>鳥>魚>>>虫>>>猫
だったり、虫が大好きだと
虫>>>>>>他の生き物
だったり虫が苦手だと逆だったり、本当に様々だ。
宮司には特に肩入れしている生き物がない。
猫からも昆虫からも同じ様に、学べる。
以前に室内で一匹の蟻に出会った時にも、ゴマの様に小さいのに堂々としているのと、やたらツヤツヤしている所に興味が湧き観察した。
ふと思いついて、しまってあったルーペを探し出し、それを使って拡大。
裸眼で見ただけでは手足がある位しか分からなかった小さな蟻が、つままれた指の間で威嚇する様にこちらに向かって手を振り回している。
巨大な相手にも臆することなく湧き上がる闘争心に驚き、
蟻の二の腕と言ったらいいのか、そんな部分が意外と逞しいことに又、驚き、
新しい発見に感謝して蟻を屋外に送り出した時に、ごく自然に「ありがとう」の言葉が出て、それが結果駄洒落になったことにも大変驚いた。
びっくりばっかりである。
虫に驚き、猫にも驚き、彼らを驚かす自らにも驚いている。
それはとても面白く、ありがたい日々なのだ。
凡の日々に、満載の驚き。
(2018/12/6)