《ところ変われば》

 

2018の不覚社会で日々取り上げられるニュース。

眺めていると、大体

 


「嘆かわしいこと」
 
「晴れがましいこと」
 
「財の配置替え」

「各種注意報・警報」

で構成され、その合間に「ちょっと和むこと」「様々な分野の新発見」が混ぜられて出来ている。

 


手を替え品を替えニュースは登場するが、どの端末でもエゴが欲しがっているものは結局「他と比べての優遇」であり、優遇を求めた先の結果も出尽くしている。

その為、不覚社会が起こすニュースには常にどこか既視感がある。

宮司が一番楽しんで観ているのは「様々な分野の新発見」で、本質的にNEWなことであり、まさにニュース。

内側の奥底に向かって意識の冒険が進めば進む程、外の世界には新しい広がりが起きてくる。

の進みを照らし合わせ、面白く観ている。

 


「我が為、我が為」を繰り返しているのはエゴだけで、世界は毎瞬新しく生まれている。

生まれる流れを止めることは出来ない。

不覚騒乱がお開きになると、物理次元は覚者だらけ片付いた場所となり、全母分神達による弥栄の活動が楽しく振る舞われる世になる。

素敵な時代が来る訳だが、今居る人型生命体みんなが、もれなく目をこじ開けられて覚ます訳ではない。

何の保証も強制もない状態から「自由意志により目を覚ますことを決めた者達全員」で、“みんな”となる。

 


その“みんな”の数がどれだけになるのか、見当もつかない。
揃ってみないと、分からない。

「目覚めた人」は、ニュースになりにくいからだ。

ごく周辺に居たとしても、本当に目が覚めた場合、当人はそれを「普通。何でもない」と受け止めている。

黙々と全体の為に動けど、それも普通なので特別披露しようとしたりしない。

 


なので、殆ど目立たないだろう。

「目が覚めたこの私が、世界の為に腕まくり」と、盛んにアピールして走り回るなら、おそらくその端末は未だ寝ている。

「この私っ」と言う、フガッとした鼻息消えた静けさである。

不覚と呼ばれる「意識が眠った状態」が生まれたことで、「眠りに落ちていない元々の状態」と呼ばれる様になった。
 
覚と不覚に分かれる前には、一体何が在ったか。

只、在り続ける、完全なる明晰さ。


余りにシンプルで、他のものに置き換えたりも出来ない。
「それがそれである」としか言い様がない。

中心はシンプルで不動。
表層は様々に入れ替わる。

「それがそれである」ことを思い出す端末が増え、忘れ去られていた真実が人型生命体の間に浸透し、あったり前になった頃にはニュースも変わって来る。

不覚者(ふかくしゃ)と言う呼び名も、不覚が

「覚めてないって有り得るんだ」


位の、レアな状態になった頃には、体だけ起きながら意識が眠りに入っている人として、入眠者(にゅうみんしゃ)とでも呼ばれるかも知れない。

新聞の見出しも

「K市山中で入眠者発見 自他が有ると発言し、住人達を驚かせる」

とかになる。

ところ変われば、世を驚かす報せも変わるのだ。

気づくと、変われば変わるもの。

(2018/5/17)