《ちちんぷいぷい?》
天意の感覚が開かれたことを実感するまでの間にも、気づかない程微細な変化が、実際は毎瞬起きている。
意識を全一にフォーカスし続けている限り。
水滴が岩を穿つように、重なる薄いベールを剥ぐように、少しずつ少しずつ変化が進む。
感覚が開かれた、変化が起きたと感じる瞬間は、それまでの微細な変化の連続によって開いた穴が、新しい段階に通じ一気に水が湧き出したようなもの。
トンネル掘りで言えば、「最後の一層を崩して、初めて向こう側の景色が見えた瞬間」をご想像頂ければと思う。
その水や光が通るまでの間は、天岩戸でお伝えしたように、何もないように見えるものに向かって渾身の、舞(振る舞い)を披露し続けることになる。
他の誰でもなく、ご自身でそれを為される。
王は冠や笏や剣を授かれば、争って他を従わせれば、奪って財を積み上げれば、なることが出来るかも知れない。
あくまでも、表層世界の王についての話だが。真の王については機を見てお伝えする。
この表層の王と違い、他から授かったり、奪ったり、盗んだり借りたりが一切出来ないのが進化変容である。
誰かが代われる、代わらせられるものではない。
押し付けられないその証拠に、不覚三昧の者達は、諦めてふてくされるか、道連れを増やそうと躍起になっているだけではないだろうか。
政治的、経済的、精神的、どんな言い方でも、この社会を操作し相対の優遇を勝ち得た者達が、その他大勢を使役し、代行させるのが世の多くの仕事の有り様。
だが、目覚めや悟りに関しては、それが一切通用しない。
誰かに肩代わりさせられる性質のものなら、卑怯者どもはどんな手を使ってもとっくの昔にそうしていたはずだ。
誰も代わってくれない。
ここだけ見ると、心細くなられるだろうか。
自力、と思っただけで、進化変容が目の前に立ちはだかる途方もなく高い壁に見えたり、まるで姿形を想像だに出来ない透明な魚を捕まえることのように、思われたりするかも知れない。
「自他はないんだから、自然にしてその時が来るのを待てばいいんだよね」
と、その場を収めたくなるかも知れない。
がむしゃらな頑張りで全体の流れを歪めないことと、
変容の当事者として起きるモノコトに自ら向き合わないことは、
無論全く違うことである。
道なき道にこそ手元の明かりは必要。
だからこそ、宮司という“これ”があなたの意識をうろちょろしている。
高そうな壁に見えるとは言っても、何だかおかしなことばっかり言うが別段大した者でもなさそうなこの存在が、どうやらそれを実際行ったようである、と。
これだけでもあなたと変容をグッと近づけることに、
今この瞬間なっている。
そして、誰も代わってくれない、に関してだが、
あなたがまだ個の感覚をお持ちとして、もし他の誰かが、あなたの知らない所で別の誰かにちちんぷいぷいしてもらって、目覚めや悟りに達することが出来ていたとしたら、
お気を悪くされは
しないだろうか?
誰も代わってくれないし誰も何とかしてくれやしないということは
そうした事態も一切ない、ということである。
ちちんぷいぷいでは成し得ないのが、進化変容。
だからこそ、自ら深める意味があるのだ。
これほどフェアなものもない。
(2016/8/8)