《そこがどれ程》
「真剣に憤って居られる…マイケルが…」
先日、スリラーついでにMJ関係の情報を掘り起こし、『They Don't Care About Us』を聴きながらそんなことを感じた。
肌の色が白でも黒でもない者にも、真剣さは伝わるものだ。
歌われたのは随分昔の様だが、この憤りの元は未だに和解を見ていない。
テーマもそうだが曲そのものの「古びなさ」にも驚く。
古いとか新しいとか関係なく、マイケルは只マイケルなのだ。
一過性の時代に貼り付いて仕事してた訳でないことが分かる。
「マイケルと言えば、音楽界のサグラダ・ファミリア。築年数とか関係ないのか」
と、調査しながら思った。
色んな意味で桁違いな所が良く似ている。
50年位の人生で、派手なことに関しては、やってないものが無いんじゃないかと思う程の行動派。
輝かしい名声と、巨万の富、数々の汚名、巨額の借金、どちらも手にした。
悪や恐怖を歌い、世界への愛も歌い、様々な体験をした。
白と黒の軋轢を歌いながら、自らの黒い肌が白くなったりと、その大半は相反するものが拮抗している。
変容を求めながらも千々に乱れる時代の象徴的存在と言える。
他の曲からも大変深い読み解きが出来、この存在と作品群だけでも冊子が1つ作れてしまいそうだ。
だが、今の今はその時期ではない。他にやることがある。
そんな訳で、冬場に食べるドングリをしまう様に土にマイケルを埋めなおして、本題に入る。
「進化変容を難しくしている要素を、周囲に見つけて下さい」と申し上げる時、大抵の方は直ぐにそれがお出来になるのではないかと思う。
例えば、
同じ思いではなく、理解もない家族。
弱気になる癖。
止まない我欲。
世間の目。
猜疑心。
失いたくないものへの未練。
漠然とした恐怖。
そうした困難は探せば、あらゆる人の暮らしに見出せる。
だが、今この形式の言語でこの記事をお読みの方の大半は、
白い肌と黒い肌の和解を実現しなくてもいいし、
奴隷の身分に生まれてもいないし、
戦火に晒されてもいないし、
国を追われて彷徨っている訳でもない。
「あくまで、現時点ではでしょ!これからそうなるかも知れないじゃない」と先の夢想に耽る人々は放っておくとして、「あっ、そうか、そう言う困難は今の今は無いや」と単純にご理解頂けた皆様に、申し上げられることがある。
まさに今の今「そう言う困難」の最中に在っても、それでも全てを愛そうと意志を発動する者は居ると言うこと。
そこがどれ程暗くても、夜明けの兆しを感じ取る者は居る。
どれ程意識が混乱に晒されようとも、中心に在り続けようとする者は居る。
その勇気がどれ程のものか、その愛がどれ程深いか、ご想像頂けるだろうか。
宮司は直接彼らに会ったことはない。
だが、そうした者が居ることは分かる。
只、分かるのだ。
環境の圧を受けきって変容した時、彼らが放つ輝きはどれ程眩しく、素晴らしいだろう。
「戦乱のない国に生まれたのは、既に魂が成熟しているからで、変容の口火を切る存在達なのです」
そうしたメッセージも全くの誤りではない。
だがそのことに優越を感じ、枕代わりに頭下に敷いて居眠りを決め込むだけなら、口火どころか幼稚な恥さらしで終わっても仕方がない。
荒れ狂う場所でも変容の意志を持つ者が居る。
それを知る時、躊躇いを手放して出来ることを始める者が、真に天意からの愛を放つ。
宮司も今の今は会うことのない彼らに恥じない様、そこがどれ程遠くとも、尽くして行くと決めている。
そして、会うとも決めている。
(2017/11/2)