《おかあさんシステム》
教育と調教の違いと共に、早めにお知らせが必要と感じたのが、世で広く機能しているこの見えないシステムについてだった。
人型生命体が物理次元にやって来る時、肉体的にだけでなく経済的社会的にも自立するまでの間、先に世に出た人型生命体の世話になる。
サポート役は大体セットで置かれ、片方は新人をこの世に産み出す体の役割も引き受ける。これが世に言う母親。
母親に限らず、家庭を切り盛りする主婦の役割をする存在も、おかあさんである。
一家の女主人という立場を退いた方が、自身の娘や嫁を「ママ」と呼んだりするのも良くあること。
また、主婦が主夫に変わって男性でもこの役割を務めることがある。
女性として物理次元に登場し活動していると、ちいさくて守らなければならないものとしての“子供枠”を外れたあたりから、人間意識によって『おかあさん予備軍』に登録される。
弟妹という端末が登場したあたりで、自身の子供枠が強制終了に遭い、面食らった方も居られるのではないだろうか。
人間意識は相対的にしかモノコトを見られない。
先に出てきた端末に特別な思い入れがない限り、年齢数字の小さい方を優先する。
予備軍登録後は、何となくうっすらと「おかあさんになる」ことを意識に置きつつ活動する。
自身の意志は無視されて、話が進む場合もある。
なりたくてなるおかあさんなら弥栄だが、仕方なし否応なしでなるおかあさんなら徴兵と変わりない。
おかあさんには様々な戒律が存在する。一部、例を挙げると、
おかあさんは自身を子より優先してはならないことになっている。
おかあさんは自身が采配を振るうので、裏では自らに一番都合のいい結果も選べる。
おかあさんは養育対象の成長や安全に責任を持たねばならない。
おかあさんは24時間態勢で務めなくてはならない。
おかあさんは世間の持つ「おかあさん像」のイメージを損ねてはならない。
おかあさんのおかあさん的活動は、記念日以外は基本何をやっても「当たり前のこと」である。
こうして並べた戒律の中には、自由も不自由もある。
美味しいのか、美味しくないのか。
計りかねるのがおかあさんという役割なのだ。
そしてこの役割に関して最も重要な点がこちら。
おかあさんは、
激務である。
産んでいようがいなかろうが、おかあさんを務める期間、あらゆるものから解き放たれて自らに向き合うことは大変な困難を伴う。
意識を中立に保つさなかに、生活費は出たり入ったりせわしないし、役員会の仕事は回って来るし、ご飯の時間はやって来るし、洗濯物は溜まって行くし、子供は予告なしに熱を出す。
全一に溶けてしまえば、全世界を中立な天意で包む意識で、子の額に冷えピタを貼ることも出来るだろうが、正直言って不覚状態からトライするおかあさんチャレンジは、物理次元最大級の荒行。
大抵はおかあさん仕事に意識が夢中になってそこにかかりきりにになり、内側が成長しきらないまま時を過ごし、戒律を守る『おかあさん保存会』の一員となって終わる。
激務に加えてハマった場合、やりがいという魅力の誘惑も出て来て、よほど中立を保たなければ「おかあさんありきでの自ら」になってしまう。
一人っきりで、山に籠ったり、穴に首埋めたり、爪を伸ばしまくったり、そんなインドの修行者達の行いがただの「ヤンチャ」に思えて来る程、おかあさんの行は、費やされるエネルギーが桁違いな体験行なのだ。
現役でおかあさんの行にトライされている方も、おかあさんになれという圧に晒されている方も、それをぶっちぎっておかあさんの行を遠巻きに観ておられる方も、全ての方にご理解頂きたいのが、
おかあさんシステムは
あくまでもシステム
であるということ。
人型生命体は全母と同質であり、質としては全母、そして本来の形としては皆が全母の子。
子達で始めた全母を思い出す為の「母ってこんな?」という手探りが作り出したのがおかあさんという概念。
みんなが描いた全母の似顔絵。
そこに戒律が出来、システムになった。
おかあさんというのは永久に背負わねばならない十字架ではないし、一時の役回り。
現役の方にとっておかあさん活動は『神なる自ら』から振られたチャレンジであり、受けきれば必ず変容の力となる。
しかも最大級のテコなので、モノにした後の伸びが半端ない。
また、内側で「自らの進化道に今そのチャレンジは違う」と感覚的に分かっておられる方は、「おかあさんにならねば申し訳ない」という思いは即刻手放して、ご自身の上が導く道を遠慮なくお進み頂ければそれで間違いない。
進化の道がどのように現われるかは、お一人お一人ごとにまるで違う。
どの道であれ「個を超えた全てに向かって尽くす」とお決めになられた方のみ、真っ当な進化道をお進み頂くことが可能となる。
どこを行っても本気なら本道。
(2016/12/1)