《あなたは何も待たなくていい》
新世界の出産に尽くしはするが、宮司は基本、誰の目覚めも待ってはいないし、世界のどんな変化も待ってはいない。
不覚時代には、はらわたが煮えくり返る思いで待ったこともある。
だが目覚めが起きた瞬間、言葉に変換することもなく腑に落ちたのは、
目覚めない自由もある
ということだった。
あなたの目覚めの知らせを聞いて、あなた自身と同じ程、喜ぶ自信がある。
だが、待ってはいない。
そもそも永遠に在って、一体何を待つことが出来るだろうか。
だから何も待っていない。
あなたも何も待たなくていい。
勿論待つ自由もある。
けれど待つことを望んでいないなら、
進んだかと思うと又戻る、頑迷なエゴの殻が完全に壊れるのを
待たなくていい。
朝のニュースでアナウンサーが
『どうやら我々は人間ではない様です』
と言ってくれなければ重い腰を上げようとしない人々を
待たなくていい。
この世界に光が満ちるのを
待たなくていい。
あなたの目覚めの知らせを聞いて「あぁ、この時を待っていたんだな」と思うことはあるかも知れない。
だが、それを今の今から待ち望んだりはしない。
「待ってた」ことに気づくのは結果の確認、あらかじめ「待ってる」は特定の未来の所望。
今の今は、いつかの今に向かって星に願いをかけるために存在していない。
冊子でお伝え申し上げた通り、いつで割れない(偽れない)ものが、今なのだ。
あらかじめ待つというのは今この瞬間からそれを引き離すことだ。
待つと諦めないは違うことだ。
あなたの素晴らしい今は、何かを待つ為のものではない。
完全燃焼で味わうものである。
それも永遠のダンスとなる。
闇雲に手足を振り回すだけでは永遠のダンスにはならない。
自らが永遠に在ることを踏まえた愛の意識しか、世界と踊ることはできない。
あなたという意識が一緒に踊ってくれないなら、御神体はずっと壁の花だ。
パートナーは初めから共に在るし、こうでなければならないというステップもない。
足りないのは集中と喜びのみ。そしてそれらは天意からしか起こらない。
ついでに言えば、光はもう満ちている。
だから尚更、待っていない。
(2016/5/26)