なるたけ要点を絞って書きましたが、膨らみました。
誠にあいすみませんが、年末の大掃除、お買い物やおせち作り、餅つき等の合間に手が空かれたらで結構です。
飽きない程度に小分けにするなどいい塩梅にしてご覧下さい。
本年最後の記事は月曜日に、2つのふろくと共に、あっさりと書かせて頂きます。
では記事へ。
《誉れと支え》
火曜記事に続いて、本日も『ハリー・ポッター』から教わった、不覚者が人生上で求めるものについて申し上げる。
2.特別感
闇の帝王に両親を殺されると言う事件は、当時まだ赤ん坊だったハリー自身の命も危うくする。
ところが、彼はその局面で何故だか生き残った。
命が助かっただけでなく何と、彼に触れて帝王の方が力を失い、姿を消した。
このことから魔法使いの間で「生き残った男の子」を知らない者はないと言う状態が、当人の知らない内にすっかり出来上がっていたのである。
人間社会では無名の少年だったハリー君は自分が魔法使いだと知らされてからすぐに、大人の魔法使い達に囲まれて有名人として扱われる体験をする。
やがて出会う同年代の少年少女達も彼に対して無邪気に驚いたり、意識して遠巻きに眺めたりする。
ここで一つポイントなのが、魔法使い達は、魔法が使えないいわゆる“並の人間達”を「マグル」と呼んで軽んじていること。
マグル達の社会で無力な存在だったハリー少年が、そのマグルを基本馬鹿にしている魔法使い達から、超重要人物として扱われる。
底辺から天辺へ、一気に配置替えが起こるのだ。
親愛、尊敬、期待、時には崇拝。やがて敵意や怖れも加わり、魔法使い達からの反応はハリーを悩ませたり虚しくさせたりする。
更にはキリストよろしく救世主認定されて、死を受け入れる覚悟もすることになり、ハリー仕事も全く楽じゃない。
だが、主人公である彼に想像力で“成り代わって”いる読者には、ごく初期の大歓迎はたまらないのではないだろうか。
第一作『ハリー・ポッターと賢者の石』はそんな分かり易い名誉に満ちている。
累計5億部を超えるとされる全シリーズの中で、ダントツの販売部数を持つのがこの『賢者の石』。
どれだけ時を経ても、人はシンデレラ・ストーリーが大好きだ。
だが、特別感の優越だけでは満足出来ない。そこで
3.先導者
が求められる。
いくら特別扱いされていても、知らないことだらけの世界に飛び込んで成長し活躍するには、支えが要る。
ハリー少年も様々な先導者に支えられるが、彼が最も尊敬し、信じ、疑い、怒り、悲しみ、そして感謝した相手は疑いなくこの人物だろう。
学校の校長先生で、魔法界からの大臣になってよのお誘いを幾度も断って校長をしている、みんなの認める分かり易い「凄い人」。
特別感のある主人公を先導する者も、やっぱり特別でなければならないのだろう。
亡き父の親友でハリーの名付け親になった人物も、ある意味特別な魔法使いと言えるし、「家族になれるかも知れない人」として重要な存在となる。
が、どちらかと言えば、“反面教師”に近い感じである。
彼のとった
「自分が人気者だからと言って、冴えない同級生をからかって虐める」
「自分が主人だからと言って、召使いを見下して乱暴に扱う」
と言う行動や、
「対象によって重要度と対応が全く変わる」
意識では、特別な存在への「大事!」「大好き!」は分かっても、結局愛が何かは分からないままとなる。
寂しがるし、落ち込むし、癇癪も起こすし、無茶もする。この存在から教わることは多い。
とは言え校長先生だって、悩むし、憂うし、隠すし、無茶もする。
憂いを頭から取り出し中。
それが作品の中で、ハリー君を大変不安にする。
導かれる側は先導者に対し安定した頼もしさを求め、先導者であると同時に理解者でもあって欲しいと望む。
その望みが叶えられない時には、大きな不満や疑念が生じる。
理解されていることを感じたいハリーにとって、ダンブルドア校長がかける言葉は曖昧で難しく、物足りない。
もしダンブルドアが
「迷ったり憂いたりしない仏のような存在で、
いつでも欲しいだけ言葉をくれて、
丁度いい時に現れ、
頼もしく支えてくれる」
先導者だったら、『ハリー・ポッター』シリーズは更に売れたかも知れない。
そうした都合の良い先導者付きの甘い夢を、不覚の人々は欲しているからだ。
本作ではそうはならず「魔法」と言う、人が“フワッとしたお手軽さ”を期待する代物が使えるのに、ハリー君は結構苦労する。
沢山の不自由や、不快や、不穏、危機も経験する。
『ハリー・ポッター』は全作まとめて観察すると、「一時気持ちを楽にする空想逃避行をさせてくれる夢物語」では終わらない。
「魔法や呪文があったって、
やることやらんと進まんのよね」
と言う、至極あったり前のことを教える、人間の物語となるのだ。
進化を省く魔法はない。
(2019/12/27)