《大工と鬼六》
「人が渡る橋を鬼が架ける」と言う、ちょっと変わったこの物語を眺めていて、思わぬ発見があった。
本日記事ではその発見について報告をさせて頂く。
物語の概略を申し上げると、
昔ある所に、大変流れの速い川があった。
あまりに速いので橋をかけてもその度に押し流されてしまう。
川のほとりに住む村人は相談の上、腕のいい大工に橋を架けて欲しいと依頼。
「まかせろと」引き受けた大工は川を見てその速さに仰天する。
途方に暮れてぼんやり川を見ていると、中から大きな鬼が姿を現した。
大工の眼玉と引き換えに橋を架ける、と言う鬼。
鬼の言葉通りに、とても無理かと思われた橋はサクサクと完成。
困っている大工に、「俺の名を当てたら眼玉は勘弁してやる」と鬼。
大工は、森を歩いている最中に偶然聴こえて来た歌で、鬼の名前が鬼六であると知る。
大工に名前を言い当てられた鬼は、ぼわっと消えて無くなる。
本によって大工が森に逃げ出してたり只あてもなくうろついてたり、歌ってたのが鬼の娘だったり女房だったり、細かな所がバラつくが、大体はこんな感じ。
この物語、北欧の民話を翻案改作したものだと言われている。
巨人が出て来る「オーラフ上人の寺院建立伝説」を日本向けに、巨人を鬼に寺院を橋にアレンジした「鬼の橋」が大正期に書かれ、口演によって昭和期に伝播、それが日本の民話として採取されたと言う流れ。
鬼も川から湧き出て来るが、話も流れから湧き出て来る。
謎めいている。
謎めく上に、何でか昔から日本にありそうなのが面白く感じた。
このありそうな感じが、沢山の児童書、絵本や紙芝居を生んだのだろうか。
「オーラフ上人伝説」と「鬼の橋」、そこから派生した「大工と鬼六」を並べて眺めていて、ふと気づいた。
「あっ!それで鬼六なのか〜!!」
順を追ってご説明すると、まず「オーラフ上人」の巨人も、寺院を建てる代わりに上人に要求をする。
「報償として日と月を貰う。若しくはその身体。只、3度のうちにこの名を当てられたら報酬は要らない」
結構、代替え案の手厚い親切設計。
巨人の言っている日と月は、両眼を意味していると気づいた。
エジプトの天空神ホルスは日と月を両眼としているし、アマテラスとツクヨミもイザナギの両眼から誕生している。
片方を半眼にする不動明王の天地眼も、別名は日月眼である。
冊子にて申し上げたが、日と月がならび、初めて明るいとなる。
日はアマテラスであり自ら輝くもの、そしてツクヨミ(付く読み)はそれを観照するもの。
輝きながらその輝きを観る。
この2つを同時に行うことが自他を統合することである。
これによって目が覚め、明るくなる。
日月の眼は自他統合の発動を意味する。
それを要求する鬼六とは何か。
川は人の住まない領域であることから異界を表す。
鬼は見たまんま、異形の存在である。
流れの速い異界から訪れる、そこに橋を架けられると言う異形。
これ恐がんなかったら嘘でしょ、と言うシチュエーション。
そこへ来て絶対あげたくないものまで要求されとても分かんなそうなクイズをオマケに付けられる。大ピンチ。
大工がたった一人で入る森は意識の奥底を象徴する。
そこに居たのも、又、鬼。
鬼から離れても、又、鬼。
逃げられないのだ。
だがその鬼こそが、知りたかった名を知っていた。
しかも歌にして歌っていた。
答えを真に求めるなら、只一人で内なる領域に入って行かねばならない。
そうすればそれは勝手に聴こえて来る。
このことが分かる。
「大工と鬼六」の中には、鬼娘が鞠つきをして歌っていたと書かれているものもある。
鞠も眼も球体。球体はポイントとなる。
大工が森で出会うこの鞠はゼロポイント、そして日月眼と共に機能する第三の眼も象徴する様に感じた。
鬼六の「六」は、人型生命体の7つの体の内6つを表している。
不覚の意識にとって、下の3つは意識の手に負えない程勝手に動き、まるで暴れ川。
そして、上の3つは存在するのかどうかも分からない、得体の知れない領域。
まさに「鬼」な「六」と言える。
それらの中心にある4番目の体にアクセスするのが、ハートの領域。
ハートから森の奥底に到達した意識が、6つの体本来の役割と言う名を聴き、それを宣言する。
告げられたことで、6つの体は制限を解かれ「ぼわっと消えて無くなる」。
実は消えた訳ではなく、真の眼を開いた意識である大工、そして森の奥の歌う鬼と一体になったのだ。
鬼六も、歌う鬼も、大工も、全て合わさって真価を発揮する人型生命体となる。
これは分断されていたものが一つに溶け合う物語なのだ。
その象徴が、橋である。
橋は架け橋とも呼ばれ、二つを通い合わせるもの。
全母とイコールである感覚を取り戻す、意識の架け橋が鬼の橋なのだ。
面白いことに、岩手に伝わる「大工と鬼六」には、橋にこんな描写を添えたものがある。
「その橋は橋げたが無く、木をたくみに組んだ虹のような橋でした」
木を気に変換すると、7つの体が真価を発揮する象徴となる、気で出来た虹の橋が浮かび上がる。
「大工と鬼六」に不思議な魅力がある理由が良く分かった。
架けられそうもない所に橋を架ける。
これは、人型生命体の変容が描き出された物語だったのだ。
意識の森に入ってみよう。
(2017/6/26)