重要な部分が多く切るに切れず、どうにも長くなりました。
週明けから誠にあいすみませんが、適度の調節で飽きない程度になさってご覧下さい。
では記事へ。
《共に踊る》
人型生命体が分神としての活躍をするには分割意識と御神体両方の、真価の発揮が不可欠である。
不覚状態で動く時、大抵は分割意識の独断でことが進められる。
意識の望みを叶える為の道具の様に御神体を扱えば、当然に真価の発揮はない。
逆に、大事をとってひたすら寝かせて置いたりしても、こちらも真価の発揮はない。
御神体は何を切っ掛けに、真価を発揮するのか。
映画作品の中に、御神体の真価発揮の瞬間が大変分かり易く描かれている場面を発見。
本日記事では、そのシーンについてご紹介申し上げることにする。
ミュージカルや映画にもなった有名な物語。必要な場面に至るまでの経緯をざっとご説明する。
下町風のコックニー訛りで粗野な話し方をする花売り娘イライザと、言語・音声学を専門としクセのない上品な話し方を教えているヒギンズ教授。
ひょんなことから出会った二人は、その場に居合わせたピカリング大佐の賭けの申し出に乗り、イライザが上流階級の中に入っても通用する話し方を身につけて、レディーとなれるかどうかの企画にチャレンジする。
毎日毎日、眠る時間も削っての猛特訓が続く。
しかし、長年培ってきた発音の癖はなかなか抜けない。
イライザも教授も、何でか付き合って特訓を見守っているピカリングも、揃ってクタクタに。
ついにある日の午前3時、疲れ果てたイライザは頭痛を訴える。
そこを同じく疲れきっているヒギンズ教授が励ます。
ここからが重要な場面となる。彼が彼女に伝えた言葉は、
「疲れているのは分かる、神経だってもうボロボロだろう
だが今、君がしているのは
意味のある すばらしい事だ
格調高い英語は 国民にとって最大の財産だ
人の心を打つ想い 優れた思想 それが このたぐいまれな音楽的言語に込められている
君はそれを征服しようとしている
難しいが きっとできる」
このセリフに散りばめられたポイントを順に挙げると
彼女が今どう言う状態にあるか、その適切な観察と受け入れ
今、共に行っていることの重要性と
重要である理由の説明
目的地にどこまで近づいているかの状況報告
実現に向けての励まし
そしてこれは平時に易々と語ったのでなく、共に極限状態にあってそこで出て来た言葉。
掛け値なしの本音と言える。
見下しの施しではない、対等な存在として向ける労りと励まし。
「所詮は労働者階級の花売り娘」
「こっちがこれだけ教えてやっているのに」
「こんなことも出来ないのか」
「俺だって疲れてるんだ」
そうした文句は出て来ない。
何より、訛ったり略されたりと言った歪みがない英語の習得は、ヒギンズ教授が人生かけて取り組んで来たテーマだ。
その大切な仕事について、女には分かるまいとか線を引いて隠したりせずに、ちゃんと説明する。
この時、イライザは教授が彼女の中にある可能性を、素直に認めて活かそうとしていることに気が付くのだ。
すると、これまで散々チャレンジしても出て来なかった「求めていた発音」が彼女の口からこぼれる。
The rain in Spain stays mainly in the plain.
(スペインの雨は主に平野に降る)
ぱっと聞きは何のこっちゃ意味のない、発音が適切かが分かり易い単語が並んだ、言葉遊びの様な詩である。
だが大喜びの教授とイライザは何度も繰り返し、イライザはそれを歓喜しながら歌として口ずさむ。
一つが出て来ると次々続く。
“ In Hartford, Hereford and Hampshire Hurricanes hardly happen ”
(ハートフォード ハンプシャーでは ハリケーンは吹かない)
“ How kind of you to let me come ”
(お招き恐れ入ります)
ピカリングも加わって三人は大はしゃぎ、イライザは夢見心地で、疲労は跡形もなく吹き飛んでいる。
「大した進歩だ 外に出せる」と喜んで、教授と大佐はその場を去る。
残ったイライザは、騒ぎが聞こえて起きて来た人達から、「こんなに根をつめては体が参るから、何を言おうとベッドで眠る様に」と促されても、この調子である。
“ ベッド? いいえ 頭はスッキリしているわ
眠る? 今夜は無理 王冠の宝石 全部もらっても
踊りたい 一晩中でも踊っていたい
それでも踊り足りないわ
翼をいっぱいに広げ
どんな事でもできる そんな気分
なぜかは分からないけど
胸がときめくの
突然 心が空に舞い上がった
あの人が私の手を取り 踊った時から
踊りたい 一晩中でも踊っていたい”
手を取って踊る、とは対等でなければ出来ない動き。
どっちかが宙に浮かんでたり地に潜ったりして上下に分かれていては、手に手を取って踊るなど出来ない。
男と女、上流と下流、教師と生徒、そうした様々な線引きにとらわれずに、
只々歓びに満ちて共に踊る時、
そこには「どんな事でもできる そんな気分」が発生する。
教授はこの後、調子に乗って意識の鈍感かつ傲慢な部分が飛び出し、イライザを本気で怒らせるのだが、それについては次回以降の記事で書かせて頂く。
下町育ちの花売り娘が滑らかに英語を話せたのと同じに、御神体にも本来はどの様にでも自由に変化する力がある。
その力を花開かせたいと意志する皆様は、ヒギンズ教授が極限状態で発した誠ある言葉から学ばれることをお勧めする。
愛で本音を伝えてみよう。
(2019/3/18)