《人魚姫》
海は人間の無意識領域、陸は意識の領域を現す。
無意識の世界の象徴である人魚姫が意識世界の王子の元に姿を現す。
しかし彼女の愛、そして彼女への愛は沈黙の中から見いだされなければならない。
だから彼女は声を失った状態で、感情体思考体が一切何の影響も及ぼさない細かな周波数の存在として現れた。
もし、彼女の声が出ていたとしても、王子や陸の人間には聞こえなかったのではないだろうか。
細かな至福のバイブレーションは、感情や思考に捕われた耳では聞くことができない。
そしてアタマで考えた時には、海辺で倒れていた何処の誰とも分からない女は選べない。
隣国の姫というちゃんと出自が分かる女や、自分が助けたと(感情体思考体に)聞こえる音で話せる女を選ぶだろう。
王子が、聞こえない音を観ることが(音は見ることはできなくても、観ることはできる。だから観音という言葉がある)できなかったため、実は彼自身が対の鏡として呼び出した人魚姫は形を保てず、実体化のない無意識領域に還って行った。泡になったという表現はこの象徴である。
人魚は人と魚の合わさった姿をしている。これは無意識領域と意識領域の融合=変容をあらわしていると感じた。
山羊座の神パンは獣から魚への変容をその姿であらわしていた。
パンは全てに変じる事が可能であるという。獣→魚の途中経過で止まった格好が面白くてそのまま天に上げられたといううっかりエピソードが有名だが、変容自在な神なる存在としての、自由の象徴になったのならナイスうっかりだ。
ここまではアンデルセンの「人魚姫」。
ディズニーアニメの「リトルマーメイド」では王子と人魚姫が結ばれる。
映画の終盤に暴れる海の魔女は下半身が魚ではなく、蛸なのが面白い。
海の悪魔とも言われる蛸は、魔女のイメージに合っていたからだと思うが、 蛸は“虫”の領域にあり、このキャラクターもまた、無意識領域に巣食うバグの化身と言える。
それを、海を荒れ狂わせほどの衝撃を持って、最後は船の柱で貫いて解消する。
船は肉体(ご神体)、柱は中心軸。王子の意志と行動でそれは成された。
無意識領域からあらわれた至福体のエネルギーである人魚姫の声が聞けたから、その意志を持つことが出来た。
やはり至福体につながることで、バグは解消されるのだ。
変容の“聞こえぬ声”に、いつでも耳を傾ける余裕を持つことが大切なのだと改めて感じた。