《丸と星》
不覚社会がマトモに受け取らないだけで、全母からのメッセージは物理次元に向け、常に降り注いでいる。
有名企業のシンボルマークやキャッチコピーの中にも、深いメッセージ性を持つものがある。
本日はその中の一つを採り上げてみることにする。
“丸くなるな、星になれ。”とは良く言ったもので、本当に素晴らしい教えだ。
製作者がどう言う意志を持って世に出したのかは分からないが、個の自我を超えて浸透するものがある。
不覚社会が認識する「ありきたりで周囲に埋もれる様なものより、尖っても眩しく輝くスターになれ」と言う、特別意識丸出しのしみったれた概念ではなく、もっと深い意味を持っている。
星じゃ星じゃとおっしゃいますが、もし綺羅星が空に「みっちり」隙間無くはめ込まれていたら、どうだろう。
ヤイヤイうるさいとかそれ以前に、
星が星である、
その形である、
と、認識出来ない。
広がるのはぎらついたダイヤの海みたいな空。
ド派手に輝くが、何が何だか分かりゃしない。
星が自由に輝き、しかも「こんな形の星である」と全容が分かる為には何が必要か。
星を丸ごと包み込んでくれる暗闇の静寂。
四角いものも丸く収めるブラックホール。
全てを受け入れ全てを包み、全ての奥から天意を送る虚空。
猿が調子こいてサインした釈迦の手の、遥か外にある真の内。
そんな全母に抱擁され、その天意で慈しまれているからこそ、個別の端末である分神として全力の輝きを現すことが出来る。
このマークには、そのことが表れている。
ありがとう、おかあさん。
あなたがいるから輝ける。
と、黒丸に表される虚空へ向けて捧げる感謝の象徴なのだ。
そして星は黒丸の中心からどこにも偏らずに、輝いている。
背を丸めず 「真っ直ぐ」に、「真ん真ん中」から飛び出してこそ、
十分に広がり星としての真価を発揮することが出来る。
歪まずに惜しみなく輝けと言うメッセージが「丸くなるな、星になれ。」に表われている。
しかし何にせよ、まず虚空の“丸”がある。
だからこそ星も星として存在出来る訳で、感謝を捧げこそすれ、舐めてかかるのは論外となる。
背景となる周囲を一段低いものや脇役、添え物として見下げる根性が、結局は、輝く自分らにも等級をつける貧しさに繫がっている。
等級自体は只の目印なので良くも悪くもないが、一等星を重んじてちっちゃく見えるものを軽んじるなら、それは貧しい。
切磋琢磨しか出来なかった時代の名残りなので、特別を求める選民概念も「それはそれでお疲れ様」ではあるが、こっちが感謝で合掌しても、踏ん張って居残り続けるマッチョなお局みたいになっている。
宮司にとって只今2018は、そのお局が切磋琢磨パワーで頑張って走行し続けるルームランナーの、傾斜がどんどん上がって行くのを眺める時代にもなっている。
遅かれ早かれどっかしらで転倒するか、力尽き膝をついてそのまま転げ落ちるだけなのだが、一応旧時代の顛末と言うことで確認はする。
昭和期に生まれたキャッチフレーズに、
と言うのがある。
このフレーズが浸透していた時代は、今より遥かに男業にやり甲斐があった。
精神的にも肉体的にも過酷だが、そこをも含めて充実感や満足感があった「男・華の時代」である。
ちなみに2018周辺は男であることにさして旨味がなくなりつつあり、「男だけど心は乙女」とか、「男なのに心は少年」とか、とにかく「男以外に再就職!」みたいな動きでごった返している。
ふた昔程前に流行った、ちょい不良オヤジだってピーターパンの亜種だし、平成に入ってから大人の男は本当に人気がない。
そんな風に横道へ逸れる者も大勢居る。
だが、生物学的男として生きることを堪能する時代を経て、ようやく人類は、内なる男性性を担当する分割意識が「大人の男」となる、そしてカミさんである御神体と結魂する、変容の時代を迎えている。
男女どちらの外形で産まれようとも、変容プロセスでは必ず男を上げる、「男になる」場面が出て来る。
字は強いのにどこか可愛い。
男は黙ってサッポロビール。
本日記事に則して変換するなら、
分割意識は黙って虚空に感謝
結構、的を射た訳ではないだろうか。
丸に抱かれ星となる。
(2018/3/15)