《鍵集め?》
不覚社会にも「鍵は重要なものである」と言う認識は行き渡っている。
だから、キーポイントを見つけたがるし、キーパーソンとなる人物を求めて彷徨ったりする。
鍵は重要。
そこまでは合っている。
誤解は、鍵を
不覚人生を他より上手くやり過ごすアイテム
とした所から始まっている。
だからキーパーソン風に振る舞う端末を取り巻いたり、人生を切り開くキーポイントとなるかも知れないキーワードが散りばめられた書籍等の情報資料をせっせと集めたりする。
それらはどれも古くなる。
例えば「やせる」と言うシンプルな一点さえ、共通する結論が今日まで見いだせないのは何故なのか。
みんなを痩せさせない為の新たな奇病がどんどん発生している訳ではない。
稀な例を除いては、エネルギーの摂取と消費、その方法に痩せるかどうかはかかってくる。
だが、積み上げると月まで届く程ダイエット本が出版されても、真の決定版は出ずに、ずっと
「何かしらの働きかけでスリムになる」為の本は出続ける。
自己啓発本も出続ける。儲ける為の本や心を安らがせる為の本も出続ける。
延々繰り返される積み上げの様子から、
何かを完全に終える為に学ぶのではなく、
その時その時の局面で、
周囲から頭一つ抜ける、
若しくは頭一つ抜けた気分になる
その為の学びであることが分かる。
ちなみに、自由意志を尊重せずに「操る」行いは、鍵すら求めないピッキングである。
周囲から抜け出て秀でる為にする学びを卒業して、変容すると決めた方々にも、僅かな誤解が残っていることがある。
どっかに、それも外側に鍵が存在する
と言う思い込み。
変容の鍵穴は内側にある。鍵は覚悟が決まると内に立ち上がって来る。
メッセンジャーや教え手の役をする者は、鍵穴に詰まった泥を洗い流す手伝いは出来る。
だが鍵の束を持って来て、
「ん~。どれなら、合いますかね~」
とはしないし、出来もしない。
鍵穴は内にあること。
鍵の元も内にあること。
本日はここをご確認頂ければ十分である。
誇っている場合ではない。
(2018/5/28)