《春が生まれる》
冬ならではの行事を楽しんでみるつもりが丁度良いものになかなか出会えず、気が付けば2月も終わろうとしていたある日。
梅のマークでお馴染みの、学問の神が奉られる神社で祭と神輿の渡御が行われることを知った。
不覚都合で担ぎ出す神輿に興味の湧くことはそうそうないのに、この度は妙に気になる。
丁度、梅についても興味が湧いていた。
梅園をゆっくり散策したら面白いかも知れない。
そんな呑気な発想で“冬仕舞”の様な祭に出掛けてみたら、もうえらい数の人・人・人。
結婚式、祈祷、フラメンコや佐渡おけさ、野点、屋台、似顔絵描き、物産展。
そう広くない境内に様々なイベントが一緒くたに詰め込まれる中、その隙間から飛び出すようにして、願掛けがされた凄い数の絵馬が房状に垂れ下がっている。
見る絵馬見る絵馬、ほぼ何かの合格祈願。
「合格、って何だろう」
そんなことを思っていたら丁度神輿が、参道の入り口までやって来た。
数時間かけて揺られて来た神輿が、ついに神社の鳥居をくぐる宮入は端で見ていても「やったぜ!」感があった。
意識を向けていた「合格」をすぐさま放ん投げ、神輿の脇に寄って狭い参道を並走。
本殿への到着を見届け、「わぁ、この状態やっぱ似ているな」と眺めた。
何に似ているかと言えば、
子の着床
参道は、産道でもある。
着床おめでとう。そうしみじみしていたら、到着を祝う挨拶を終えた前方の本殿から、ビックリするアナウンスが聴こえて来た。
「神輿、バックしま〜す」
「え?嘘」「ここを?」「この狭さを?」
とあちこちから聞こえて来たが、来た時もギリギリの幅だった参道で、容赦なく神輿が逆走を開始。
結構な勢いで揺れながら、どんどん近づいて来る。
最大接近時に思わず仰け反ったら、丁度後ろにあったのが屋台用に張られたテントの側面で、フワンと受け止められた。
倒れる場所がもうちょいズレていたら、唐揚げか焼き鮎の店に転がり込んでいた。
テントの感触も面白かったがすぐに体勢を立て直し、外に出ようとする神輿の後を追いかけた。
走りながら大きな喜びを感じていた。
何故なら「着床即出産」の場を目の当たりにすることが出来たから。
物理次元に毎瞬毎瞬現われる全てが、虚空と言う全母による世界と言う“子”の発生。
それは、まさに着床即出産の子生みだ。
そのミニチュア版が観れたことに心底から感謝し、成る程これを見届けに来たのかと納得した。
鳥居を飛び出した神輿は、すぐ傍にあった神輿を収める為の倉庫が並ぶ場所で、神職と氏子の代表らによって祈りを捧げられていた。
そこまで追いかけて来る人も多くはなく地味なラストだが、役目を終えた神輿から今回生まれたエネルギーが旅立って行くのが分かった。
担ぎ終えて手を離れたら、神事の途中でもその辺に溜まってタバコを一服とか、
神輿の到着を祝って全力で唱っているすぐ隣でスマホとか、
確かに、不覚神輿の限界を見るシーンも多々あった。
それでも、みんな個々の願いを超えた「祭の祝い」の為に長い距離をえいやえいやと担いで来たのだ。
この捧げる力が神輿の到着、更には新たな出発を生んだ。
鳥居から神輿が飛び出した時、今春と言う真新しい季節の誕生を感じた。
春が生まれるのに立ち会えたことに感謝し、新たな力の晴れやかな旅立ちも見送れて大変に満足した。
「梅」の字は木に毎と書くが、この毎には「子を沢山生む母」の意味がある。
古い字体では毋の部分は母と書かれていた。
そして桜の字で木の横に付くのは「首に玉飾りをした女」を意味する形。
無から万物を生む全母性が字の中に示された梅。
梅の後には、母が生んだ光の世界、その瞬間瞬間の繁栄を、玉の様に連ねて輝かせる姿が示された桜が咲く。
サクラサクを願って、梅のマークの神に願掛けとは、成る程な行事なのだ。
只、合格通知を貰うかどうかに関わらず、この世にあるヒト、モノ、空間、みんなが既に咲いている。
咲く、つまり幸く。
幸わうのが、世界本来の姿である。
幸わうことは、祝うこと。
(2019/2/28)
《2月のふろく 春のお出かけメモ》
明日からは3月。
梅はどんどん咲き出し、桃を挟んでやがて訪れる桜の季節。
無から有が様々に花開くのを観に出掛ける、素敵なお出かけ用にメモをこさえました。
どんな春を観に行き、そしてどんな風に味わえたのか。
梅や桜が舞う丸の中に自由に書き込み、扇の中にはその日一番めでたいと感じたこと「めでたい大賞」を記して頂き、楽しい一日の記録をお作り下さい。