《公共物》
広告等が一切ないことからもお分かり頂けるように、この神宮をこしらえることで何かしら収入を得たりしている訳ではない。
基本、ご感想も承っていないし、当宮に関する情報をこちらで検索したこともない。
世間的に見れば時間と集中力を賭して、得るものゼロ。
この行いは何かと問われれば、現時点では『税金』が一番近い答えになる。
新世界で生きる端末としての、全母に対する返礼。
究極のふるさと納税
と理解している。
感想についてはたまにお声を頂くこともあるが、それも全体の必要に沿って起きている。
「何故だかどうしても伝えたくなった」
という時以外は宮司にコンタクトを取らない、粋な方々にしかその方法が提供されていないことも見事だと、おふくろ采配の素晴らしさを改めて感じる。
そんなたまに起こる必要な風以外は、全くの凪。
沈黙の行
と、上からは言われている。
人間は通常、己の行為に対して賛同でも批判でもとにかく、何かしらの反応を欲するものだ。
そこを逸脱した活動が実際に行われた時、全体にどう波及するか。
全母へのふるさと納税は、見えない領域に一石を投じる面白い試みでもある。
行と書いたが、こちらからのコンタクトや検索をしないように努めているのではなく、その必要を全く感じない。
全く感じない宮司というこの端末だからこそ、この行が割り当てられた気もしている。
現時点で他の端末が成し得ると思えない、人間にとっては相当な苦行になることだと分かるからだ。
世間の税金観に見られるような搾取の感覚は、このふるさと納税には全く存在しない。
全一であるが故に、突き詰めれば自らに納めているだけだということが分かっているし、納める過程のあちらこちらで愉快なことが起きるので、もう納税という娯楽と言っていい。
この全母納税には還付もある。
一端末だけの動きでは到底起きることのない大きな気づきが還付される。
この気づきからの深い納得が増えるごとにためらいも減る。
全世界的にためらい多めな日など、その気配がこちらへも平等にかかって来る。
網にかからなくても、網にかかった魚たちが作り出す波は、ここへも届く。
全ては一つだからだ。
その揺れた状態からも、抜けるのが速くなってきた。
何だかどんどん「つるつる」になってる感じ。摩擦が無いので、抜けが速い。
そんな日々の中、次第に自らを公共物のように感じ始めた。
横腹に『宝くじ』の文字があっても驚かない気さえする。
この「らくだのような何か」は日本の公共事業の一環だが、覚者にとって「公」とは、日本という国や社会ではない。
地球でもない。
太陽系でもないし、
天の川銀河でもない。
真の「公」
=虚空と、虚空の生み出す全領域
要するに全部。
部分都合ではない、この『全部都合』で生きていると当然、自分とされるキャラクターや他の誰それの為に生きられなくなる。
誰か一人のものではなく、何処かしらの集団の利益に属するものではなく、誰にも何にも与(くみ)しない時。
逆に何の不安も湧いて来ない。
安全には、
『完全に安心』
と同時に、
『全一に帰して安らか』
という意味もある。
安らかだからこそ、無限に力が湧き、様々な情報も降りてくる訳で、現在人類進化のシステムを鋭意解き明かし中。
その美しさに驚きながら、馴染みの神々に長年して来た不義理の落とし前もつけつつある最中。
この神宮とは別にして。
まあ、びっくりする。
不覚時代なら冗談扱いして笑うか即無視でケツまくっていただろう仕事量。
そんな中で内側が平静でいられることを実感する度に、公共物という感覚もますます育って来る。
エゴからしてみたら不気味以外の何ものでもないこの状況。
感謝を持って楽しんでいる。
届いた新世界図面(青写真)に湧く宇宙のおじさん。
内容は、開ける度(毎瞬)進化する。
(2016/7/21)