《全て今の内》
目覚めに向かう中、「この方は」と見込んで心を開き、著作やブログなどで動向を見つめているメッセンジャーが「私もまだまだ揺らいだりもしますが」や、「こんな執着が残っていたとは驚きました」等の、報告をしてくれることがある。
情報を受け取る側の多くは「先生も完璧じゃないんだな、私も焦らず行こう」と、ちょっとホッとしたり、「飾らずにありのままを伝えてくれて信頼出来るな」と、親近感とともに嬉しくなったりする。
進化の道のりでの素敵な一幕だが、同時に誤解が生じることもある。
本日はその点について一言申し上げておく。
メッセンジャーと情報を受け取る側が居る場所は、その波の荒さが全く違う。
受け取る側はメッセンジャーのように、電話やメールの大波をあっちこっちから浴びなくてもいい。
波に乗せて、縋り付きの海草や怒りの電気クラゲや、混乱のヘドロを頭からかけられることもない。
停泊する沢山の船にやんややんやと航海の方向指示を頼まれたりしないし、溺れさせようとする海坊主や船幽霊に足を引っ張り込まれたりもしない。
メッセンジャーの進化の道は、他より険しくて当たり前なのである。
それなのに、慣れた波が打ち寄せる浜辺に座って、
「あの先生ですら、まだ揺らいだりするのだから私なんてまだまだ」
と、オチを着ける。
これはちょっと見、慎み深く上品さも匂わせる。
だが、その表面にまとった気配をひっぺがすと、この「私なんてまだまだ」は。
「まだまだ進化しなくて大丈夫」という安堵の鼻ちょうちん。
であることが明らかになる。
「そんな呑気なことは思っていないし、覚悟決めている」という方が殆どであられると思う。
だが、敢えて申し上げる。
信頼する師よりも先に、友より先に、世間の殆どより先に、
たった今、
今の今、
お目覚めになることを了承出来るだろうか。
本当に決めているなら、今この瞬間それが起きても構わないはずなのだ。
また、「全体の流れにお任せしていつでも、無理のない丁度の時期に目覚めて結構です」とするなら、その場合だってやはり、今この瞬間に目覚めが起きても構わないはずなのだ。
「いつでも」には、今の今も必ず含まれている。
「今この瞬間はちょっと…」というなら、それは「いつか」だ。
「全て今の内」の内は、「腹も身の内」の内に同じ。
「今の今、目が覚めても結構だ」と今一度、腹をくくって頂くと全てが今の内になり、本当の「いつでも結構」となる。
周囲の動向をチェックし意識の中で「まだ大丈夫」のまだが取れて、もう進化しても大丈夫、という「もう大丈夫」に変化するまで座り続けようとすると、いつまでたっても全体に則した動きにならない。
まず先生達が華々しく堂々と目覚めて行進し、その後を生徒達がついて行く。
何だかんだいって、目覚めや悟りについてこんな予想をしている生徒達が大半で、「尊敬と従順」とプリントされた綺麗な覆いを剥がせば
「先陣切ってくれる存在があって初めて、立ち上がる気になれる」
という生臭い中身が露呈する。
周囲にまだ目覚めた者を見かけないから、それを実現した者が様々な面で“どうなるのか確認”したい。
これは興味や好奇心のように見えて実際は、安全確認という保身の行為だ。
先生方が勝って官軍となれば拍手で付き従い、負けて賊軍となりそうなら弾避けにした後、置いて帰れる。
ここまでの狡猾さがなくても、生徒の中には「先生を差し置いて先に目覚めるなんて」と、無意識でストップをかける者が居る。
だが、師にとって本当に必要なのは、痒い所にサッと手を伸ばす気を利かせ上手な二番手ではなく「師の教えが真実であることを証明する者達」である。
それを必要としない師など、師ではない。
進化の道において進み具合は基本、順不同。
年長者からとか、先生からとか、先輩からとか、一切ない。
そして、メッセージを受け取るそれぞれが「まだ大丈夫」なのか「もう大丈夫」なのか、一体なにが「大丈夫」なのか、どんなメッセンジャーにだって断定は不可能だ。
進化の速度調整など何の役にも立ちはしないし、誰の弥栄にも貢献しない。
舗装を待って、行こうとしない。
(2016/11/7)