《マリッジブルー?》
「いざ結婚することになってみると、
これから上手くやって行けるんだろうかとか、
もう気ままな一人の生活にお別れだとか、
環境が急激に変化する波に戸惑うとか、
そんなこんなで憂鬱 」
と言った揺れる心持ちを表すマリッジブルーは、和製英語らしい。
西洋では「幸せになる為、結婚式に揃えよう」とされる、おまじない的アイテムに、「古物、借り物、新しもの」と一緒に「何か青いもの」がある。
ブルーな気分だったり、幸せの青い鳥だったり、人の都合により青も何かと忙しい。
どちらの例えもあることから「青そのものは、良くも悪くない」ことが分かる、とも言える。
マリッジブルーに話を戻すと、結婚への憂鬱は、変容と言う結魂を前に不覚の意識が陥る逡巡に、重ね合わせることが出来る。
但し、ぴったりとは重ならない。
表層のマリッジブルーには男も女もなるが、結魂のマリッジブルーは分割意識のみがかかるものだからだ。
御神体は、とっくに準備万端。
身体に抵抗の様な反応が出るのも、分割意識が御神体に持たせっぱなしのデータ、解かずに持ち越した宿題が暴れているだけだ。
要するに、花婿が会場(正念場)までやって来ないと話にならない訳だが、全体のことなどお構いなしに個の充足を追い求めて来たヤンチャ坊主達には、未だその踏ん切りがつかない様である。
結婚は花嫁にとっては一世一代の晴れ舞台。
花婿にとってもそのはずだが、何だか「年貢の納め時」ムード。
結魂は御神体にとっては真価発揮の晴れ舞台。
分割意識にとってもそのはずだが、何だか「年貢の納め時」ムード。
逃げ惑う新郎どもを追っかけ回している暇はない。
追った所で、覚悟を決める気すらない洟垂れ小僧達は、散り散りに駆け出し「鬼さんこちら!」とかやり出すだけだ。
当宮と宮司に出来るのは、「結魂って何でしたっけ」や「そもそも何しに来てる物理次元でしたっけ」等のお知らせを、年貢担いで集まったグッドセンスな花婿達に提供すること位である。
「年貢の納め時」だけでなく、「人生の墓場」とか、「堪忍袋給料袋お袋」とか。
これは概ね昭和の結婚イメージだが、平成になろうとも結婚は、甘いだけではないピリッと感を交えた作りになっている。
しかも昨今の花婿は、「その日一日はプリンセスである、花嫁に相応しい添え物」な感じ。
これまで好き放題に「俺が俺が」で来た存在が結婚式では、前に出ていたのを一歩下がって花嫁に並び、『バービー』で言う、ケンに徹するのだ。
確かに「一世一代の、ケンになれる日」では、あんまり盛り上がらないのかも知れない。
不覚の分割意識共がこぞって結魂に尻込みするのも、「僕ちんにとっては美味しくないイベント」だからだろう。
だから気の合う男連中で集まって、いつまでもバチェラーパーティー、結婚前夜の羽目外し大騒ぎをやっている方がいい。
とんだ、独身貴族。
「年貢の納め時」とは言い得て妙で、これまで好き勝手に振り回して来た連れ合いに、心底からの愛と感謝を捧げ、この時ばかりは支える側に徹する。
変容と言う、御神体の真価が発揮されるイベントでは、男である分割意識は「黙ってサッポロビール」。
それが男のケジメだ。
黙ることは、歓びが無いことでは、ない。
大人になり伴侶と共に、しみじみと歓びを全霊で味わい、新たな世界を開いて行く。
そこに、乱痴気騒ぎは必要ない。
きっちりケジメをつけて年貢を納めたら、意識の想像を遥かに超える素晴らしい蜜月が、全母によって用意されているのである。
結婚も結魂も、ゴールではない。
(2018/6/18)