《コネクションの終焉》
先日お知らせした祭の受付をしたことで、初めての方や、お久し振りの方とメールをする機会があり、面白かった。
と、同時に、本当に今更ながら、覚の世界における「コネクションの終焉」を改めて実感した。
これまでに、どこかの「以前」において宮司と面識があろうが、どの様な時を共に過ごそうが、どんな気づきや発見や感動をご一緒しようが、そりゃもう全く、
それはそれ。
「面白いから初めての方、沢山来い」とも、「知ってる存在は来て欲しい」とも感じなかったし、只、全体を上に任せていた。
そして、サクッと締め切りになった。
又、頂くメールの中に、お申し込みの方のご家族が現われる機会もあったが、これに全く興味が向かわないことからも、コネクションの終焉は明らかである。
こんな当たり前のことを申し上げるのも馬鹿らしいが、当宮や宮司にコンタクトを取る方々の、
家族や友人であれば目覚めに近い
などと言うことは、一切無い。
「神の国にスタッフパスはない」のと同じに、家族席だってないのだ。
誰か一人が、枡席を買ってあげることなど出来はしない。
行動を起こす家族や友人を眺めていて“効果”が出てたら、
ブログを書いてるこの人がもっと有名になったら、
それを根拠にどうやら信頼に足ると感じられたら、
ぴあかどっかでチケット買って、遠巻きに観られる様になったら、
まぁ、その時は
動いても良いかな。
不覚であれば、この程度の認識に留まることも、有り得るのかも知れない。
只、「当宮の知名度がもっと上がった」ところで、それを宮司が確認することはないし、知ったところで、どうと言うこともない。
春分からご用意した場にお越しになる方々には既に申し上げているが、宮司と同じ位にまで目を覚まして、全体に捧げる働きをする者が
5人出たら、
メッセンジャー
としての
当方は引退
これで、良いとしている。
何故なら、一つ所に端末がどんどん増えると、何であれ「サークル」や「宗教」や「ファンクラブ」や「結社」の様相を呈して来るからだ。
それは、真の理解にも変容にも全く必要のない、むしろ邪魔になる横道である。
5人の中に、宮司に代わってメッセンジャー的役割を引き受ける方が1人居られれば良い訳だし、2人出れば、更に広がりが早くなる。
困ることなど一つもない。
その頃には、宮司にいよいよDIYの才能が舞い降りているかも知れない。
そうなれば、椅子や棚を作るし、別の用事が舞い降りればそれをする。
シンプルだ。
なので、
「末永く眺めていれば、いつか乗ってみようかなと思える程の良い波が来るだろう」
の魂胆を抱えられたままの方は、そこに好きなだけ座って居られれば良い。
おそらく、只の一度も、お目にかかることはないだろうが、あなたも全一の一部。
どことも誰とも変わらず、只、天意からの愛を捧げる。
要は、ご自身で。
(2018/9/13)