《ひらけごま》
先日の祭の少し前、お渡しする冊子が仕上がったことに満足し、いい気分で掃除機をかけていたときのこと。
入力等の作業の間、冊子に登場する『燃えよドラゴン』のオープニング曲をずっと鼻歌で繰り返して止まらなくなっていたのが、この掃除中にも出て来た。
嬉しい仕上がりに一層機嫌良く、鼻歌に興じていた所、
『燃えよドラゴン』で始めたのが、途中からひょいっとすり替えられて、
『セサミストリートのテーマ』に着地した。
「何だよ。変なの挟むなよ〜」
と上に文句を言いながら、
「セサミ…ごま…ひらけごま?」
と気がつき、掃除機を放り出して「ひらけごま」を検索してみた。
聞いたことはあるし、「閉じていたもの開く合い言葉」だとは知っていたが、何で「ごま」?
調べてみると胡麻に栄養があるからだとか、言霊に意味があるからとか、結局「どれが大元か」は分からないまま、知れ渡っている謎の言葉。
う〜ん、謎は大好きだが、この状況で謎はちょっとどうだろう。
何しろこれから記念品や神芝居を用意する、祭の準備の真っ最中。
掃除くらいはしてもごまに没頭なんか出来ん。
と、「又ね」を言って検索を止めた。
で、祭を終えてやっとごまに意識を向けている。
瞬間的に分かっていたのが、細かい「粒」であるのが重要なポイントだと言うこと。
小さな粒が「開く」。
無数のドットが見えない状態から見える化して「開かれる」のが現実創造である。
あれは「宝がいっぱいの画面を開く“ひらけごま”」だったのだ。
同じ音を持つ護摩は梵語で「火祭り」の意味。
不動尊や護摩壇、燃やす為のヌルデ材等のグッズを用意して祈祷する密教秘法としての護摩は、「絶えざるいのち火の現実創造=真の火祭り」のレプリカと言える。
真の火祭りはシンプルでさり気なく、絶え間なく、そして誰のことも操作しない。
様々な分割意識達が毎瞬毎瞬“ひらけごま”で出て来たものを感じ取り、味わっている。
ごまをひらくのは全母の仕事であり、不覚から変容し分神となって全一に則していれば、最も自然に最も味わい深くその“ひらかれるごま”を体験することが出来る。
不自然なごまはひらかれなくなるし、より嬉しく面白いごまがひらく。
“他のみんなより大きくてツヤツヤしたごまひらけ”とか
“あのごまはひらかないで、こっちのごまをおねがいします、大丈夫かな、疑ってるけど、ええぃひらけ〜”とか、
ごちゃごちゃしたものだと、合い言葉にならない。
そして当然に「本当にひらかれる必要のある状況画面」は、とんと開かない。
シンプルに晴れ晴れとした意識で全一の天意とともに“ひらけごま”することが必要なのだ。
ところで先週お伝えした「新展開」だが、この毎瞬ひらかれているごまを感じ取る「感性」を磨いて頂く為に、日々の実践に役立つものをご用意することとなった。
とは言え、宮司に会ったり、どこかに受け取りに行ったりする必要はない。
ここに載っけるからである。
PCでご覧の方は、そのまま印刷し、携帯でご覧の方はシンプルなので似せて作ってみて下さればそれでOK。
この記事が本誌だとすると、「付録」みたいな存在をアップする。
日々の実践は、内側との対話と独り立つ行動が中心。
なので記録していないと、険しい道やだらだら続く様に感じる道に遭遇して凹んだ時には、それこそ「何も出来ていなかった…!」の錯覚に陥ってしまう。
その時に役立つものである。
来週お目にかけるので、ご覧になってお気に召された方は是非ご自由にお役立て下されば嬉しい。
どんどんひらこう。
(2017/7/21)