《1と0》

 

本年のゴールデン・ウィークは10日間。

お休みとお休みに挟まった3つの平日の真ん中に、即位のお祝いが飛び込んで、前後の両日も国民の休日にチェンジ

オセロゲームみたいな動きで面白い。

 


そんなことを感じながら不覚社会を眺めていて、世間ではこの連休があまり歓迎されていないことに気がついた。

うちの業界は大変。

 


実際そんなに休めない。

休み貰ってもすることない。

 

そんな長い期間、普段外に出てる家族に自宅に居られても困る。
 


こんな長い休みだと明けてから、仕事行きたくなくなる。

 

連休明けにどれだけ仕事溜まってるか不安。

 


よくもまぁ、これだけヤイヤイ言えるものである。

嬉しいと言うご感想も、もっぱら

働かなくていいから

or

遊べるから

嬉しい。

 


そうした段階に留まっている。

10連休のどんな点がありがたく、面白いかといえば

新体験

であるということに尽きる。

改元という節目が足されたことでミラクルが起き、かつてない長さの黄金週間が日本にやって来た。

 


日本全体で通過する新しい体験に、一端末としてその期間どう過ごすかは置いといて、「やったぜ!」があっても、何の不思議もない。

本来、人型生命体は未知こそ歓びとなる存在だからだ。

ところが、この未知の部分が歓ばれるどころか忌まれている

その間の金融取引はどうなるのとか、

 


休まれた分の人手はどう補充するのとか、

不測の事態にはどう対応するのとか、

最近事故ばっかだからこの休みもなんか起きるぞとか、

不慣れってこんなに歓迎されないものかと、始まってもない連休に向けられた大騒ぎに唸った。

 

生き残りを求める動物としての癖の中には、「未知の体験に恐怖し身構える」プログラムが入っている。

 


人類もそれを使って、生き延びてきた訳だが、その生き延びには常に恐怖セットで付いて回る

ずっと付いてくるので、もう恐怖ある種の快感にしてしまえと、歪んだ嗜好を育てた末に出来上がったのが、今日(こんにち)不覚社会である。

既にご承知の様に、そうした恐怖に支えられた古いノリは、どんどん通用しなくなっている。

不覚社会における大きな連休は、確かに「休む」「働く」差が大きく開く様に見える動きも、所によって起きてくる。

求められる動きが、質・量ともに何かと増える方もおられるだろう。

 

 


その変化も、新しい状態に脱皮をするのに必要な空間の収縮として敢えて受け入れ、この未知なる体験を可能な限り祝わってみられることをお勧めする。

「安全と言う保証を付けて、

お馴染みのノリも残して安心感を添えて、

なるべく簡単で楽で分かりやすい

新世界移行をお願いしまーす」

 

「だったら参加する~!」


当たり前に、そのオーダーに従ったものは既に「新」世界ではない。

真の歓びを求めるなら、

未知を嫌わないことだ。

日本と言う国における一つの節目に、「1」「0」とで示される、連続する休みが発生。
 
この期間を活かし、1と0に改めて意識を注力し、その上で新体験を、丁寧に味わって頂くことをお願い申し上げる。

 

 

1も0も愛してみよう。

(2019/4/25)