《自他の溝》
終わらぬ不安に人々が疲弊し、ますます取っ散らかった動きが激しくなっている昨今。
宮司の方はますます増える仕事に腕まくりしつつ、意識は平素とおよそ変わらぬ状態で生活している。
混乱せぬように心がけているのではなく、
只単に、乱れようがないから乱れない。
ワーと手で水を掻き回しても、グシャグシャには出来ないのに似ている。
いい加減、「信心で何かを変えよう」と言う段階から卒業する必要がある。
その意味もあって起きている騒動である。
先日、スーパーで会計の順番を待っていた時のこと。
レジに立っていた店員の女性に、その知人らしい女性客が話しかけるのが聞こえた。
「本当、困っちゃった。マスクが買えなくて」
どうも執務中にマスクが必要なお仕事らしく、店員の方がバーコードに「ピ」としている間中、相手はずっとその話をしていた。
それをすぐ後ろで聞いていた宮司の意識に咄嗟に浮かんだのは、
「チャーーーーーーンス!」
と言うのも、世間では「とにかくマスクが足りないし貴重」だと知ってからずっと、不測の事態でそのマスクがなくなる状況が発生した所に居合わせたら
「どうぞ!」
とサッと差し出せるよう、個包装のマスクを数個袋に入れて常に持ち歩いていたのだ。
当初浮かんでいたイメージは割合に事故的なもので、
「あぁ~大事なマスクが風に飛ばされてしまった!」
とか、
「あぁ~大事なマスクが水たまりに落ちてしまった!」
と言った感じ。
今回はちょっと違うが、この数週間マスクセットを持ち歩き続けてやっとお目にかかれた機会。
これも巡り合わせだと、会計機の前で丁度横並びになった時、その女性にマスクが要るか尋ねてみた。
「どこかで買えるんですか?」
と目を輝かせられたので、「買えるとこは知りませんけど、これどうぞ」と持っていたカバンからマスクの袋を出した。
すると、相手がビックリした顔で
「え、なんで!?」
とおっしゃられた。
これにはこちらが驚いた。
まさか理由を尋ねられるとは思いもしなかった。言葉に詰まり、どうにかひねり出されたのが
こっちを指さし
「あるし、」
あっちを指さして
「ないから。」
原始人みたいな返答になってしまった。
見たことないけど。
原始人だって「オレ、マスクアル。オマエ、ナイ。ダカラ、アゲル」位は、言うだろうか。
意志は伝わった様なのに、何故か非常にへりくだる感じで恐縮されマスクも受け取って貰えなかった。
断るのも勿論自由なので、頷いてカバンに戻したが「ないのに?」と謎は残った。
周囲に居た人々の視線も関係していたかも知れないし、滅菌処理で個包装とは言え知らない人に貰うマスクは気味が悪いのかも知れない。
こんなんあげようとした訳ではないが。
平素の感覚からは遠い「不覚ならこうする」な思考パターン達に意識を向け、結局は自らと他者を分けることが、行動を制限するのだと理解した。
店を出た後、
「ふ~。自他があると、何の気なしに物あげるのも大変だな」
と、空を見上げた。
とは言え、受け取って貰えなくともその試みをすることが必要だったのかも知れない。
その女性の周囲に目には見えないものが穏やかに湧き上がるのを感じ、受け取らず恐縮する一方で愛想ではない笑顔が見られ嬉しそうだったからである。
警戒しつつ、喜びもする。不覚の反応は色んな要素が混ざり合って、中々に理解が難しい時がある。
国家間の溝、世代間の溝、男女間の溝。それらを含む自他の溝。
この度の騒動に自覚のないまま翻弄されていると、そうした意識の溝がどんどん深くなる。
自他の括りを外し全体一つとなる一歩として、混乱に酔わず中立であり続けること、愛の発揮に意識を向け実践することを重ねてお願い申し上げる。
すると内側から自然と「自他はない」ことの理解と実感が深まって行く。
しなければ、
わからないし、
かわらない。
(2020/4/2)