《祝う宿り》
さて、不要不急の外出は避けてと国を挙げて言っていることもあり、家で過ごす方が増えるらしい今月前半。
そうした方々におかれましてはこの機を活かしてまず、どこの家にも大小あるだろう「謎のスペース」開封の儀に着手なさってみられることをお勧めする。
こんな機会がなければ開けることもなかった部屋、収納庫、もしくは段ボール箱、紙袋、何かしらの隙間。
一体何が入っているやら、外から見てもとんと思い出せない。
普段は「忙しいし…」で据え置いていた、その勝手に出来たタイムカプセルを開く時が来た。
開けたら、並び変えて戻すのではなく、置くにせよ手離すにせよ、それを祝って新しい場所を用意なさること。
後戻りや停滞がないと、住まい全体に新風が吹く。
次に、「人手が足りなくて休めないし、要で急な外出は続く」方々。
自由に家に居られる人や様々な理由で家に居ざるを得ない人とは別のチャレンジがある。
家に居る人の分も普段に輪をかけて忙しいし、ストレスも溜まりがちな日々の中で、
どれだけ御神体を、労われるか。
睡眠をとる、栄養をとる、気分転換をすると言った基本的なことをどれだけ行えるか。
それに加えて、只今社会に溢れている不安に同調しないことも重要になる。
周囲の雰囲気に引きずられないコツは、瞬間瞬間を連続していない別のものとして「毎瞬、新しい」のだと意識し、どんどん切り替えて行かれること。
そして何と言っても、御神体に欠かせないのは分割意識からの感謝。
忙しくて忘れてしまう様なら一日の終わりにでも、共に在ってくれること、惜しみなく日々動いてくれていることを御神体に感謝し、分神と言う夫婦間のコミュニケーションを深めて頂きたい。
話は少々飛ぶが、一口に不覚と言っても、人にはそれぞれに異なる特性、嗜好や傾向、癖、拘りがある。
覚めるにあたって向き合わなければ先に進めない、そうした不覚期の課題を、当宮では「宿題」と呼びならわしている。
宿題には遺伝と言う形で持ち越されるものがあり、その為に親子の宿題には共通する点がままある。
両親や祖父母、先祖が解かずに先送りした宿題がキャリーオーバーを重ねて膨れ上がり圧迫しているので、大抵の宿題はかなりキツイことになっている。
解く覚悟が出来るまでに、長い年月かけて熟成させて来たとも言える。
そんな似た宿題を揃えた家族と言う小集団と、今月は共に過ごす時間が格段に増えると言う方も居られるだろう。
それはそのまま宿題観察のチャンスとなる。
「これが当家に伝わる宿題なのでは?」と傾向を観察するだけでも意義深いが、この度は普段より家族をきめ細かく観察する機会に恵まれる。
彼らについて「これまで気づかなかった一面」があるかどうか意識して、観察してみられることをお勧めする。
そしてその新しく見えた面が、「ご自身にもあるかどうか」を振り返って確認してみられること。
あるかも知れないし、ないかも知れない。
家族だからと言ってそっくりそのままお揃いの宿題内容な訳はない。
子には両親の宿題が入り混じっているし、「世代の宿題」や「性別の宿題」等もあるので、家族に感じた傾向が自らの内になくても不思議はない。
あっても、なくても。
どちらであっても、家族を鏡に、自らの宿題について理解を深めることが出来る。
現代不覚社会には「宿題は嫌なもの、面倒なもの」と言う通念が存在する。
このイメージは「サボれるもんならサボりたい」「一生懸命やるなんて格好悪い」と、意識状態が成長せず幼いままで居る人が増える程に、幅を利かせるようになった。
宿題は宿題であり、良いも悪いもないのだが、学校で出される宿題を学びの機会として楽しめなくなっているのが不覚社会。
それは人類に課せられた宿題を楽しめていないことに通じている。
宿題は、「祝われずに残っているお題」であるので、祝う題、つまり祝題でもある。
厄介事を片付ける、期限までにどうにかして叱られない様にする、進学や就職へ有利にする、そんな感じで宿題をやっつけようとしても、その本質は味わえない。
人類は、物理次元に生と言うかたちで宿って、ここに居る。
宿命なんて言う時に「避けようがない多分やな感じのもの」みたいな触れ込みで勝手に色をつけ、諦めた風に大人ぶって口にする者も居るが、宿りは祝いである。
人類は、祝われて宿ったのだ。
万物の奥に満ちる、無形の母から。
その歓びと感謝を、宿題への祝いに変えて、虚空に還す時が来ている。
宿題についてはこちらも。
(2020/3/2)